新潟水辺の会について

「私たちが目指す水辺の姿―記憶される美しい水辺に―」

私達は、1987年10月に「新潟の水辺を考える会」として発足し、遊び心半分・真面目心半分で、家族ぐるみの水辺ウォッチングから活動を始めました。その後、川掃除など汗を掻く行動の必要性から “汗をかく会”に、さらに責任を持って行動する必要性から2002年に「NPO法人新潟水辺の会」へと脱皮してきました。

新潟市内で一番汚いといわれた通船川やラムサール湿地に登録された佐潟に関する活動やそこへの提案から、水辺と人とを遠ざけていたフェンスなどが取られ、階段護岸や舟着場ができ、ワイズユースでハス取り・ヨシ狩りが行なわれ、水辺と人との豊かな関係性が少しは回復できたのではないかと考えています。

2006年からは、地球環境基金(3年継続)や三井物産環境基金(3年継続)の助成を受け、信濃川上流の千曲川まで行って、鮭稚魚放流を中心に活動しています。かつて長野県まで何万尾という鮭が遡上していたのですが、昭和初期からの水力発電開発でそれが断たれてしまいました。鮭は、海で3年から5年成長してから、川の匂いを嗅ぎ分けて生まれた川に戻ってくるといいます。また、最近、山・森の豊かさは、鮭が運んできた海のミネラルに因ることが明らかになってきてきました。鮭の復活は、流域の自然環境復元の象徴として位置づけられます。2010年10月には、河口から253kmの上田で、65年ぶりに鮭(メス、3年魚)が発見されました。私達が放流した稚魚が成長したものに間違いないでしょう。

豊かな川との触れ合い、そして自然との触れ合いは、人の “からだ”と“こころ”を強靭に鍛えてくれます。このことは自然と共生してきた私達の祖先の生き方を見ることで明らかです。自然の中で、働いたり、遊ぶことによって、筋肉や脳が鍛えられ、“からだ”がつくられます。また、 “こころ”は「記憶」によって形成されるといわれます。美しい自然の中での記憶が、自然への謙虚な“こころ”を育んでいることは間違いありません。

私達は、今後とも、「記憶される美しい水辺の創造」を目標に活動を続けます。美しい水辺で仲間達と働き、遊んだ楽しい記憶が子孫に引き継がれてこそ、安心して住める“無事な社会”の持続が担保されると考えるからです。

NPO法人新潟水辺の会顧問 大熊 孝(前代表世話人)

私たちの会のボランティア活動への取り組みの姿勢について下記の記事にて紹介しています。

会の概要

設立は1987年10月15日。宮崎駿監修・高畑勤監督の「柳川堀割物語」の上映&シンポ開催をキッカケに、新潟県内の水辺環境について考える「新潟の水辺を考える会」が発足しました。当会の原点は、映画で感動したドブ川再生というやっかいな活動を楽しみながら、水の文化や技を掘り起こし、人づくりやまちづくりに結んでいる「柳川市民のこだわり」です。1994年に汗をかく会に、2001年に責任をとれる会としてNPO法人に脱皮。2002年2月19日新潟県よりNPO法人の認証、同年3月6日設立登記。その後、信濃川の復活をめざすサケの市民環境放流活動、身近な潟湖での水辺環境の再生まちづくりや体験学習など、各地の水辺活動支援に取組んでいます。

会の紹介・入会案内のチラシはこちらから御覧ください。

  • 定款
  • 代表世話人(理事) 長谷川 隆

特定非営利活動促進法第28条の2第1項に基づく貸借対照表の公告

所在地・連絡先

特定非営利活動法人新潟水辺の会
〒950-2264 新潟市西区みずき野4-7-15
Phone 025-264-3191
留守番電話の際は伝言をお願いします。

メール info★niigata-mizubenokai.org(迷惑メール防止のため、メール送信の際は★を@に書き換えてください)

ページのトップへ戻る↑

One comment

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください