信濃川におけるサケ復元の可能性調査に関わって

新潟大学工学部建設学科 別部 拓生

 

昨年の夏、数回にわたって十日町市から新潟‐長野県境をまたいで信濃川・千曲川・犀川沿いに松本市まで、サケの復元にかかわる信濃川水系の調査に同行させてもらうことができた。

 

無水区間・減水区間の実態調査という名目だったが、まずはその実態を見て相当なショックを受けた。十日町橋付近から見る信濃川は、広い川幅に対して流路が狭く、また、その水深も浅く、日本一の大河とは思えない流れだった。その姿は「痩せ細った」とでも言おうか、不健康な印象で、大きな違和感が私の心に残った。

 

宮中ダムの直近まで行くと、その上流と下流の水量の差に愕然とした。満々と水を湛えた上流側と、大部分を取水されて細々と流れる下流側のギャップにはただ驚くしかなかった。

 

西大滝ダムの状況も同様で、上流側の豊富な水量とは裏腹に、下流は流量の少なさゆえに、河床のごつごつした岩肌がむき出しの急流のようになっていた。山間部のために流路が深さを持っていたため、水深はそれなりに深かったが、一見して本来の姿ではなく、不自然な流れだと思った。

 

犀川に入り、無水区間の状況を目にしたときは本当に驚いた。淀んだ水が無表情に淀んでおり、生気のようなものは感じられない。苔と泥で汚れた河床は死んでいるようにさえ見えた。更にショックを受けたのは、その水温の高さだ。測量のために水溜りに入ると、風呂のような、お湯と呼んでいいような水が肌に触れた。自然環境・川の生態系を何と考えているのかと思った。昨年の夏は記録的な猛暑で、水が流れている区間の水温も決して低くはなかったが、35℃に迫る水温など自然にあってはいけないだろうと、憤りを感じた。

 

調査のメインとも言うべき測量の作業では、現場の厳しさと言おうか、授業の測量実習で学内の敷地を測量するのとは全く違う種類の作業のような感想を持った。

 

まず、測点選びの難しさである。測量実習と違い、自然の創造物である河床では、勾配の変曲点を見極めるのが困難で、径の大きな岩石で足場も悪いため、測点間の距離や標高が思ったようにとれず、苦労した。

 

加えて、夏の日射しにも悩まされた。測量を行った正味2日間で、私の肩回りや背中の皮膚は実に2回も剥けてしまった。体力の消耗も激しく、よく体調を崩すことなく調査を終えることができたなと思う。

 

流水の中での測量という作業も、体制を維持するのが難しく、これも著しく体力を消耗する要因だった。昔取った杵柄ではあるが、スポーツをやっていたこともあって、転倒して流されるという事態は避けられたが、改めて川の危険性を認識した。

 

このような苦労や感想と共に、測量結果を持ち帰り、プレゼンテーションのためのまとめ作業を行った。測量の作業中にも感じていた測点の選び方の難しさは、結果を計算、数値化する作業の中で、改めて思い知らされた。微妙な河床の形状も、測量しなければ前後の測点を結ぶ直線に隠れてしまう。測点間の距離や、流速を測定した位置により、「断面を代表する点での流速」という建前にそぐわない断面になってしまったこともあった。

 

流量を推定する際の計算過程では、n値(水の流れ難さを表す値で、粗度係数といわれる)一つをとってもその設定値によって結果が2倍にも膨れ上がったり、逆にn値を調整してしまえば公表された流量に沿う値を出すことができてしまったりと、目的と手段が入れ替わってしまうような場面もあり、罪悪感を覚えたりした。例えば治水計画の基本となる、ダムなどの洪水調節がない状態で流出してくる流量を表す「基本高水」という値がある。精度が違うだろうが、国土交通省による基本高水の設定の際なども、このような恣意性はやはり否定できないだろうと思った。自然やランダムな要素を多く含むものの定量化には、幾度となく検討、吟味することが求められ、高い倫理観も同時に求められるのだなと思った。

 

アップアップしながらまとめた結果を、プレゼンする機会を3度も与えられたにも関わらず、その全てで準備不足が露呈し、反省しなければいけないと思った。しかも、そのうち2度は学外で一般の方を前にしての発表で、本当に自己嫌悪に陥ってしまった。

 

その2度の発表の場では、参加人数が思っていたよりも多く、特に十日町市でのシンポジウム(2008・1・13)では、一般の方の参加人数が、意識の高さを表しているなと思った。

 

そのシンポジウムの関係者の方たちから聞いた話の中で、宮中ダムからの取水が地震で止まった際、代替電力を金で解決し、山手線は動いていたことについて、「地元の宝を首都圏の公共の福祉の為と捧げていたのに、金で替えられる問題だった。その事実に悔しさは拭えない。」と話されていた方がいた。JRにとっては、あの事実は実際、「不都合な真実」だっただろうなと思う。

 

調査に関わって思うことは、やはり川というものは、人間、ましてや企業の利潤の為に減水区間や無水区間を作っていいものではないなということだ。川は発電のための水路ではないし、生態系をそのためにないがしろにしていい理屈はどこにもない。

 

水利権の更新期間が30年と長いことや、過大ではないかと言われ続けている基本高水を国土交通省が引き下げないのは、彼らの怠慢や、問題意識の低さを表していると言ってもいいのではないかと思う。高度成長の時代にダムが作られて、その当時「川は人間のためにある」といったような考えがあったとしても、もう今はそのような考えが通用するわけがないのだ。問題を認識しているのであれば早急に対応してもらいたいと思う。

 

樋熊清治先生がおっしゃっていた、「継続して活動しなくては意味がない」という言葉通り、この活動にまた関わる機会を与えてもらえるならば、積極的に参加していきたい。

 

また、そのときは、今回感じたことや反省を踏まえて、正確に実態を把握し、伝えられるようなスキルを磨いていきたいと思う。

(2007年1月)

サケの稚魚放流とシンポジウム

地球環境基金の助成を受け、昨年3月に信濃川と千曲川でサケの稚魚を5万尾放流しましたが、今年も3月8日(土)、9日(日)に合計13万尾の稚魚を放流する予定です。8日は午前中に十日町の信濃川で稚魚放流して、午後十日町市のクロステンでサケの復活に関するシンポジウムを行ないます。9日は野沢村や長野市の千曲川や犀川で稚魚を放流する予定です。8日の夜は旧中里村にある林屋旅館で交流会をやり、そこに宿泊する予定です。参加希望者は、加藤功さんからメールで広報されると思いますが、加藤さんに連絡してください。(大熊記)

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