2012新潟水辺シンポジウム開催レポート

2012新潟水辺シンポジウムは、「都市の水辺空間について考える」というテーマを掲げて、12月8日(土)13時30分より、クロスパルにいがた5階交流ホールにて65名を超える(把握できない参加者あり)参加者を得て開催されました。

会場1

大熊 孝 会長は開会挨拶で、次のように語りました。「ここ数年は鮭を中心にして川を考えることでシンポジウムを進めてきましたが、今回の水辺シンポジウムは会の原点に帰って、新潟市の水辺空間について考えてみたいと思います。今年9月の水辺ツアーで富山県を訪れた際に「富岩運河環水公園」を見学する機会を得ましたので、この美しい水辺空間が整備されてきた経緯を学んで、新潟市の水辺空間について考えることといたします。 今回のシンポジウムの基調講演は、計画段階から「富岩運河環水公園」の整備に携ってきた富山県・土木部の倉田 清さんにお願いしました。彼は新潟大学卒で私の教え子でもあります。新潟市の水辺空間については、4か所の水辺空間について4人のパネリストに登壇いただきます。パネルディスカッションには、篠田市長の参加を予定していますので、後程コメントをいただくこととします。」

開会挨拶の後、大熊 孝会長から副代表の石月 升さんへ、今秋一定の成果を収めるに至った信濃川・千曲川の鮭稚魚放流活動の発案と貢献を称えて、「水辺功労賞」の贈呈が行われました。

水辺功労賞

シンポジウムは、活動報告、基調講演、パネルディスカッションの3部構成で進められましたが、活動報告では、加藤 功事務局長より「鮭の遡上状況と今後の方針」について、次の内容の報告が行われました。①鮭稚魚放流活動を6年続けてきて今年の遡上確認目標を300尾としていたが、宮中ダム魚道では297尾(昨年135尾)を確認することができた。しかし、その上流の西大滝ダムを越えていった鮭は12尾(昨年35尾)しか確認されておらず、課題が残った。今後その原因を探ってゆくが、ダムの放流のやり方や水量についても考えてゆきたい。②三井物産環境基金からの助成金は、今年の10月からさらに3年間継続されることになったが、今後は鮭の稚魚放流だけでなく、自然産卵の可能性を求めて、発眼卵の川底着床、自然孵化の実験を進める。12月中旬には、地元に協力者を得て、上田市千曲川の支川・浦野川にて発眼卵1万粒の着床を試みる。③この活動を息長く継続してゆけるように、寄付金の御礼に鮭の加工品をお届けする「鮭の稚魚放流支援サポーター基金」を設けるので、ご協力をお願いしたい。

新潟水辺の会は今年14名の新入会員を迎えることができました。新入会員の獲得にはホームページの開設が大きな貢献を果たしているようですが、会員の入会目的や参加したい活動など、会員の声に耳を傾ける努力が必要だと感じております。加藤事務局長の活動報告の後に一言スピーチの時間を用意いたしまして、当日ご参加いただいた新入会員の方々から、自己紹介とともに入会動機や期待することなどを語っていただきました。語って下さったのは、斎藤 務さん、鈴木敏幸さん、栗山和広さん、大沢正隆さんの4名の方々でした。

基調講演

富山県・土木部・倉田 清氏の基調講演「富岩運河、富山環水公園 物語」の要旨は次のとおりです。

  1. 富山駅北と富山湾(岩瀬地区)を結ぶ富岩運河(5.1km)は、昭和10年に完成して富山の工業化に大きく寄与した運河で、現在の環水公園の場所は運河最上流部の「舟だまり」となっていた。
  2. 昭和30年頃には物流の中心がトラック輸送に移って、利用価値を失った富岩運河は邪魔者扱いとなり、埋め立てられる寸前となっていた。
  3. 昭和50年代後半になって県は埋め立て計画を見直し、都市の水辺空間(都心のオアシス)として活用する方針に転換して、富山駅北地区に都市拠点を形成する「とやま都市MIRAI計画」につなげていった。このことが「付加価値型ビジネスパーク」という考え方に結実し、公園が多様な機能の施設(駅やホテル等)や交通(ライトレールやソーラー船)とつながり、公園内に魅力的な飲食店(レストラン、コーヒー店)を誘致するなど、従来の役所仕事には見られない発想で計画が進められてきた。
  4. 富岩運河環水公園はこの計画のシンボルゾーンとして整備が進められてきたが、運河中央の中島閘門(昭和9年に建設)についても平成9年に復元改修工事を行い、昭和の土木構造物としては全国で初めての国指定重要文化財に選定された。
  5. 富岩運河環水公園には当初より「賑わいづくり」の取り組みが続けられてきており、県と市の社会実験としての富岩水上ライン(ソーラー船)の運航や、フランス料理レストランやコーヒーショップの誘致、各団体によるイベント開催などが進められてきた。特に公募によってスターバックス・コーヒーショップを公園内に誘致してからは、年間の利用者が30万人増加し、平成23年度の公園利用者は105万人となった。
  6. 平成26年の「北陸新幹線」の開通によって富山市は新時代を迎えようとしているが、富山市を通過されない魅力ある都市とするためにも、富山駅北からつながる富岩運河環水公園の水辺空間としての魅力を充実させてゆきたいと考えている。

質問  パネルディスカッションは、コーディネーターの大熊会長の進行で進められましたが、パネリストとして①皆川袈裟雄さん(KMM カワ・ミチ・マチ 研究所)、②横山 裕さん(新潟観光コンベンション協会)、③香田和夫さん(鳥屋野潟 整備実施計画検討委員会 委員)、④横山 通さん(NPO法人 新潟水辺の会 世話人)の4名の方々が登壇し、それぞれが関わっている水辺について次のような発言がありました。

パネルディスカッション1

1. 皆川袈裟雄さん「早川堀の創造について」

昭和30年代に新潟の掘割は全て埋め立てられて道路になったが、早川堀もその一つである。新潟市の掘割は法律上河川の扱いでなかったので、昭和39年に市長が県に対して「公有水面埋め立て」の申請をして簡単に埋め立てることができた。高度経済成長期に下町は人も施設も転出して衰退したが、平成14年の柳都大橋と新潟みなとトンネルの開通をきっかけに、「下町が変わるぞ」という気運の中で古町周辺のまちづくり計画に「早川堀」が手を挙げた。平成18年に「早川堀通り周辺まちづくりを考える会」が設立され、勉強会、説明会、沿線100世帯の個別訪問などを実施してきたが、昔の掘割の汚い・臭いイメージを払拭できずに拒否反応を示す地域住民が多く、結局「堀」とは言えない深さ(50cm)の水辺に水道水を循環させる「水辺のある早川堀通り」として整備されることとなった。4車線の車道を2車線に狭めて生まれた空間に広い歩道と水辺を造る。歩道には樹木を植え、水辺照明を設置するという整備計画である。早川堀通りの道路整備区間650mの工事は、まず電線類地中化工事から進められることとなった。

 

2. 横山 裕さん「萬代橋周辺について」

市の都市計画課が、「萬代橋周辺のまちづくり協議会」を介して協議を進めているが、規制で景観を守るのではなく、行政と住民の協同によって景観が守り育てられてゆくことが望ましい。

行政は萬代橋を境に、信濃川上流を河川として扱い、信濃川下流を港湾として扱っているので、対応に大きな違いがある。その上、道路は国交省と県の管理であるから、萬代橋周辺で何かやろうと考えると手続きがややこしいのが現状である。

昔は新潟の住民が、暮らしの中で堀とのつきあい方を熟知していたが、今は全て行政が請け負っている。河川法の水辺でなく、新潟らしい水辺づくりを考えてゆきたい。

萬代橋は新潟市の名所たりえているだろうか?もっと市民に眺めてもらえる場所が必要ではないか?みんなに考えていただきたい。

パネルディスカッション2

3. 香田和夫さん「鳥屋野潟周辺について」

昭和23年に栗ノ木川排水機場が完成して、鳥屋野潟の水位は3尺下がり、陸地化が進んだ。土手は180cmくらい露出したが、潟の泥を客土として自分たちの田んぼに入れていた周辺の農家は、土手が必要なくなったと思い、削って自分たちの田畑に入れてしまった。

平成10年の8.4水害のときには、近江の我家が床下浸水の被害を受けた。そのときは通常△2.5mの湖面の水位が△31cmまで上がり、築堤整備の必要性が痛感された。

一方で、北湖岸桜並木が老木化して損傷が著しいこと、湖周道路の未整備部分が問題になっていることを考え合わせると、湖周の築堤整備と併せた道路整備および桜並木の早急な整備が望まれる。

 

4. 横山 通さん「通船川について」

新潟水辺の会は、通船川で毎月1回川清掃および親水活動(カヌー・カヤック活動)を行っているが、カヌー・カヤックで栗ノ木川を遡って行くと、紫竹山暗渠部に突き当たる。現在紫竹山インターチェンジの道路改修工事が計画されているが、これによって将来の見通しが塞がれてしまう前に、紫竹山暗渠部を開削して鳥屋野潟との舟道を開通する構想を私案ではあるがこの機会に皆さんに提案したい。鳥屋野潟の水面の利用もいろいろ構想があるようだが、これによって鳥屋野潟の水面の価値も上がると考えている。

 

4名のパネリストの発言を受けて、コメンテーターとして登壇いただいている篠田 昭市長から、次のようなコメントをいただきました。

篠田市長

5. 篠田 昭市長のコメント

<早川堀に関して>堀を1本でも復活させたいと念願し、一番堀か早川堀を一つ復活して市民に見てもらいたいと考えていたときに、早川堀が手を挙げてくれた。今だったら古町・西堀の住民の反応も違うと思うが、2003年当時は問題外と拒否されていた。「堀」とは言えないが、とりあえず水辺のある早川堀通りができることになった。「堀」の脇に付加価値が生ずると考える住民の変化が起きている。市が積極的に引っ張ることは控えて、今後本格的な「堀」の復活を望むか、「水辺」がある通りで良いとするか、二つの声のどちらがあがってくるのかを見守ってゆきたい。

 

<萬代橋周辺に関して>萬代橋を眺める場所については、マンションのプライベート空間では増えているが、市民みんなが眺める場所ができたらいいなと考えている。マンションの建設に関して、例えば3階まではオープンスペースにしてその上を住居にするとか、最上階をオープンスペースに提供するなどした場合に、私としては市がボーナスを考えても良いと思っている。マンション建設ラッシュが一休みしている間に検討しておきたいことである。

 

<鳥屋野潟周辺に関して>これが正念場で大事なときを迎えている。県に頑張ってもらって湖底地権を整理してもらいたい。堤防というと抵抗があるが、「やすらぎ堤」のように潟に遊歩道ができると考えてもらって理解と協力を得たい。南側は環境が整ってきているので、潟の北側から早く着手してゆきたい。まず潟を一周できる遊歩道(ところどころに広場を設けて)を整備する。県の着手を待って市が引き継いでゆきたい。

 

<通船川に関して>栗ノ木川紫竹山暗渠部開削、舟道開通構想を初めて聞いた。すごいことを考えているなと驚愕している段階で、コメントするレベルでない。よく調べて考えてみる。

 

シンポジウムは、新潟水辺の会の梶 瑶子副代表の閉会挨拶により、16:50に閉会となりました。(当日の司会:事務局次長・佐藤哲郎)

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