3/17 千曲川・川の恵みを考えるシンポジウム開催レポート

  3月17・18日の2日間、新潟市内から22名が参加し、長野県内3か所での地元の小学生とともに鮭稚魚の市民環境放流(合計13万尾)を行ってまいりましたが、17日の14:30から17:30には、長野県上田市天神1「パレオ上田」情報ライブラリー2階会議室にて、新生上田市5周年事業の千曲川環境シンポジウム「千曲川・川の恵みを考えるシンポジウム」が開催され、「新潟水辺の会」は共催者として運営にあたってまいりました。会場は地元の熱心な参加者で満たされ、参加者数は約70名となりました。

大熊 孝代表は開会挨拶で、次のように語りました。

「このシンポジウムの主催は、千曲川河川環境を考える実行委員会で行っています。本日はたくさんの方々にお集まりいただきまして、ありがとうございました。本日午前中には西大滝ダム下流にて、木島平の持田養魚場で育ててもらった鮭の稚魚5万尾と、野沢温泉村小学校で発眼卵から3か月かけて育ててもらった稚魚4百尾を放流してこの会場にかけつけて参りました。シンポジウムは報告とパネルディスカッションの二部構成で進めて参りますが、これからの千曲川をどうしていくか考えていただきながら楽しく進めていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。」

 

シンポジウムは、報告とパネルディスカッションの二部構成で進められましたが、報告では、①鮭稚魚の市民環境放流に参加して(日本ボーイスカウト新潟連盟・黒崎第一団員・大人2名、子供4名)、②平成23年度・千曲川鮭の遡上報告(NPO法人・新潟水辺の会・加藤事務局長)、の二つの報告が行われました。(その他、長野大学ゼミ生・速水 悠さんの「千曲川上流域~中流域における土壌流出に関する調査報告」を予定しておりましたが、都合により欠席となりました。)

 ボーイスカウト新潟連盟・黒崎第一団の報告では、鮭稚魚市民環境放流には4回目の参加となるが、自分たちのおかれた環境を考えることや、人の体をつくる食べ物は生き物の犠牲で成りたっていることを学ぶために参加してきたという報告がありましたが、参加した子供たちからは、「鮭が水の匂いや味がわかって、放流した川にもどることがすごい!」「鮭がおいしく成長して、川にもどってほしい!」という発言があって、会場は拍手と笑いに包まれました。

「平成23年度・千曲川鮭稚魚の遡上報告」では、加藤事務局長がNPO法人・新潟水辺の会の概要説明と併せて、次のような報告を行いました。

1.信濃川の流量は、大正から昭和にかけて水力発電のために建設が進められた「宮中ダ                  ム(JR東日本)」「西大滝ダム(東京電力)」の二つのダムの取水によって、極端に減水する区間が現れ(宮中ダム下流の維持流量は7m3/s、西大滝ダム下流では0.26m3/s)、昭和初期には長野県で年間60~70tの漁獲量を記録していた鮭のデータが、その後消えてしまった。長野県では1980年から21年間にわたって「カムバックサーモン」キャンペーンを展開し、899万尾の稚魚を放流したが、帰ってきた鮭は累計で48尾であった。

2.2008年にJR東日本の不正取水問題が発覚したことによる取水権取消処分で、2010年には宮中ダムが全開されて大河信濃川は甦り、その後の試験放流許可の動きの中で、今年は宮中ダムで60m3/s(鮭の遡上期)、西大滝ダムで20m3/sの流量が最低確保されるようになっている。

3.水が確保されてきたので、私たちは産業放流とは異なる河川環境を考えた市民の目線で行う鮭稚魚の「市民環境放流」を、信濃川沿川の3市町村(新潟市、長岡市、十日町市。来年からは津南町も加わる)の鮭基金も受けて実施してきた。2007年から2011年までの5年間の放流数は、計98万5千尾となっている。(2007年5万5千尾、2008年13万尾、2009年20万尾、2010年30万尾、2011年30万尾)

4.川の水量がもどってから鮭が徐々に遡上してくるようになり、2010年には信濃川河口より253kmの上田市千曲川のヤナ場まで遡上した1尾の鮭が、65年ぶり発見された。2011年には戦後最多の35尾の鮭が西大滝ダムを超えて遡上している。

5.千曲川沿川の子供たちに身近な水環境と生き物の大切を考えてもらおうと、現在、野沢温泉村小学校と木島平村小学校で発眼卵から鮭稚魚を育てて放流する体験のお手伝いをしている。(立科町小学校では稚魚から育ててもらった。)

稚魚の放流数からすれば数年後には数百尾の鮭が長野県に遡上してくると思っている。現在長野県では漁業権魚種にはなっていない鮭ではあるが、成魚が長野県まで遡上し、千曲川が鮭の見られる川としての本来の姿を取り戻すことができることを願って活動を続けている。この活動に対する皆様のご支援・ご協力をお願いしたい。

 

パネルディスカッションには、パネリストとして①春原 昌明さん(長野県上小漁業協同組合・組合長)、②石井 孝二さん(上田「道と川の駅・おとぎの里」世話人)、③栁田 耕太さん(栃木県真岡市・NPO法人「鮭守りの会」専務理事)、④今井 正子(長野県「水と緑の会」副代表、長野県議会議員)の4人の方々が登壇し、それぞれの立場から次のような発言がありました。

①  春原 昌明さん・・・ 上小漁協は昭和2年に漁業組合として創立されてから、85年の歴史を有し、現在1,266名の組合員をかかえている。昭和2年の創立当時の魚種には鮭が含まれていて、かなりの数が獲れていたが、戦後昭和24年に協同組合として新発足する頃には、水力発電所のダム建設によって海から遡上する魚(鮭、鱒、鮎、鰻)は激減し、昭和27年の漁協の資料には姿が絶えたことが記録されている。

漁協では、その後ダムによる水利権の補償ということで、その補償金を元に琵琶湖産の鮎の放流と増殖に力を入れてきた。(鮎の放流については、戦前から歴史がある。)千曲川の鮎は大きくて釣客には人気となっているが、秋にはヤナ漁で獲れた鮎を漁協で選別して市場に出荷しており、鮎は上小漁協の一番大きな事業となっている。また、春から夏にかけては、産卵期を迎えるウグイ(ハヤ)を、産卵床を川の中に作って網で獲る「つけば漁(瀬付漁)」が盛んで、仮設の料理小屋も建てられて、千曲川の風物詩となっている。

つけば漁で獲れたウグイの卵を漁協の施設で孵化・育成し、稚魚を各学校に配って、授業の中で学童放流をしてもらっている。鮎の稚魚についても学童放流している。

<現在の上小漁協にとっての千曲川の問題点については、次のことがあげられる>

ア.川鵜・鷺などの有害鳥の被害・・・特に数百羽で群れをなす川鵜の被害は甚大で、行政に対策を依頼しているが、猟友会による駆除は追いつかず、卵の段階での対策を検討しなければならない。

イ.外来魚による被害・・・ブラックバスやブルーギルなどの外来魚が、湖沼から河川に進出してきて、その被害が軽視できなくなってきている。

ウ.河川の濁りの問題・・・千曲川の源流部に高原野菜などの大規模開発が進み、畑の泥の流出による河川の濁りが問題となってきている。近年気象が荒々しくなり、局所的な集中豪雨の発生などによって泥が流れ出している。このままでは千曲川の河川環境が憂慮されるので、県に陳情をおこなっている。

<その他の上小漁協の特色と活動については、次のとおり>

ア.漁協としては珍しい「資料館」があり、漁具などが展示されている。

イ.組合員の義務として、年2回(4月、10月)河川清掃をおこなっている。

 

②  石井 孝二さん・・・「上田・道と川の駅」は、千曲川の源流から100km(信濃川河口から253km)地点に位置し、上田坂城バイパスの岩鼻トンネル入口にある。その概要は、国道の休憩所としての「道の駅」(41,400㎡)と千曲川の自然環境を活かした史跡文化としての「川の駅」(41,000㎡)を一体整備した施設で、国交省と上田市が分担して整備してきた。特徴としては、防災拠点として防災備蓄倉庫を備えていることと、ドクターヘリや消防防災ヘリが発着するヘリポートを備えていることが挙げられる。

「道の駅」としての車の立ち寄り率は9%(7時から19時の立ち寄り台数約800台)という状況で、まだ利用の拡大が見込まれると考えている。

計画段階から地域住民も参加して地域興しにつなげたいということで、平成8年頃から「道と川の駅」の構想が話し合われてきた。平成13年に当時の県知事の意向で「道の駅」構想は一時頓挫したが、平成14年には「川の駅(水辺プラザ)」の整備を完了することができたので、水辺プラザ整備連絡協議会を結成して川清掃・鮎のつかみどり・花火大会などの活動を行いながら、「道の駅」構想の灯を消さずにつないできた。

その後平成19年に国交省で「道の駅」整備の方針が決まったことを受けて、平成21年には「道と川の駅」整備連絡協議会準備会が発足、準備会から協議会へと「道の駅」としての利活用と施設整備の方向性が話し合われ、平成22年に地域振興施設(交流センター)をオープンすることができた。ここでは施設整備途中の「道の駅」として“おもてなし”と賑わいの創出をめざして、飲食物販サービス(地元主婦チームの活動「くいやしょ~」)の運営を開始した。さらに地元の協力者を核とした活動「よりやしょ~」(生産・出品の会)、「うりやしょ~」(食材・土産品の納品)、「やりやしょ~」(イベント・広報サポート)などの団体化を図っていき、平成23年4月に構成団体の総称を「おとぎの里」(岩鼻の伝説に由来)と命名した。

昨年の「上田・道と川の駅」の活動をふりかえると、春には鮎稚魚の放流会(二つの小学校が参加)、夏には鮎のつかみどり大会、仮設テントによる果物販売所設置、秋には仮設ステージによる演奏会(クラシック、ジャズ、太鼓)、花火大会、収穫祭、冬には工芸品出品会、餅つき大会等々、季節ごとにいろいろな活動を行ってきたが、12月には来訪者が40,000人を超えることができた。

「おとぎの里」のこれからについては、本年8月に法人化をめざしているが、構成8部会が自主的な活動を進めながら、寄付金・補助金に頼らずに自分たちの収益事業による公益事業の展開という姿に育って、豊かな地域づくりに貢献してゆきたいと考える。

③  栁田 耕太さん・・・私たちの「鮭守りの会」は栃木県真岡市の五行川に遡上してくる鮭を守ることに情熱を傾けている会である。栃木県には海が無いので漁業の利権が薄くて漁業関係の力が弱く、県も漁協(淡水)も地域社会とのかかわりに抵抗なく理解を示すというラッキーな状況もあって、私たちは日本で初めて漁協以外の団体として鮭を特別に捕獲できる採捕許可を得ることができた。そのおかげで活動できている。

10年前の会の活動の記録を読むと、純粋な思いで活動を始めた様子がわかる。その頃真岡市の大前神社の東側にある堰に姿を現し始めた鮭を、地元の人々は引っ掛けて釣り上げ、雌の腹の卵だけ取って、魚体を通学路である川縁の道に放っていた。この情景は銚子からはるばる150kmを産卵のために遡上してきた鮭に申し訳なく、こども達に見せておく訳にいかないということで、平成15年10月に黒子理事長と相談して、鮭を獲るだけでなく、鮭が生まれて海で育ってまたここに帰ってくることを、純粋な気持でお手伝いする活動を始めることになった。

五行川は1級河川であるが県の土木事務所の所轄となっており、鮭を捕獲する堰受けのヤナの埋設にあたっては、県の許可と鬼怒川水系の二つの漁協の同意を得、水産試験場(県)の指導(孵化・育成も含めて)を受けて実施した。

当初は自力で卵を採ることができず、平成15年末に木戸川漁協(福島県)から鮭の発眼卵5万粒を求めて孵化・育成し、翌16年3月に第1回の放流式を行った。以後毎年春の壮行会(放流式)と秋の歓迎会を地域住民とともに(市長に後援会長を務めてもらい)盛大に行っている。この式典では大前神社の宮司である私がお祓いなどを行っているが、式典前には参加者全員で川ゴミの清掃を行うことが恒例となっている。大前神社の東側にある大前堰は、185年前に二宮尊徳が改修した堰であるが、この周辺1kmの範囲の川ゴミを清掃している。

平成16年には鮭のためにNPO法人を取得し、県から特別採捕許可を得ることができた。私たちは中禅寺湖にある内水面研究所に教えを請うて採卵と孵化の技術を学び、孵化場を設けて、平成16年の秋から五行川に遡ってきた鮭を直接採捕し、採卵するようになった。私たちの目的は、鮭を増やして、きれいな川に対する意識を高めることにあるので、捕獲する鮭の数は制限をして、当初は100尾、現在は160尾としている。漁法についてもこだわって、「堰受け」「投網」「瀬張り網」の三種に限っている。

五行川に鮭が遡上してくるのは、10月中旬から12月中旬までの2ヶ月間であるが、川幅(水面)25mの狭くて浅い川のため鮭の産卵が直に見れることで、全国でも珍しい川となっている。五行川は下って利根川に合流して海に出るが、太平洋側では、利根川が鮭が遡上する川の南限となっている。私たちは、鮭の稚魚が銚子沖の汽水域で、4月から5月上旬までの2週間から1カ月くらいを、海水に順応してから暖流に乗って北の海に運ばれるように、日程を考えて放流日を設定している。

<発足から9年目を迎えた「鮭守りの会」の課題について>

ア.会員は約80名いるが、実働部隊は10月中旬から12月中旬までの2カ月間、朝晩2回2人組で堰受けの川ゴミ清掃(ゴミを除かないと壊れる)をやってきた。発足当時40歳代後半から70歳代のメンバーでやってきたが、このメンバーが9年歳をとって、年齢的に寒中川に入る作業が困難になってきた。今まで大きな貢献を果たしてきた高齢のメンバーが、役に立てなくなったと退会するケースが相次ぎ、これらの先輩方に離れられては困るということが課題になっている。

イ.五行川の東側の農振地域に孵化場を建設することができた。ビニールハウスでやってきたが、管理が不充分なので昨年テントハウスを建設した。建築・設備・農業をやっている会員たちが自前の技術で作った施設である。鮭の卵が孵化できずに死ぬ原因には、①河川の汚濁、②水温の上昇、③餌のやり過ぎ、の三つの理由が考えられる。①については、春に上流で実施される河川改修の泥の中にいる微生物が原因である。②については、①の対策として利用する地下水の水温が高い(14℃)ことが原因になるので、河川の水と程良く合わせて利用してゆくことが課題となる。③については、会員がオリジナルの自動給餌機を発明したことで解決した。河川からの取水(水利権)については、県の土木事務所の認可をいただいて実施している。土木事務所職員全員に当会の顧問となっていただいている。

ウ.活動資金の必要性とその捻出については、常に課題となっており、苦労している。栃木県の高齢社会対策の一環として、NPOが高齢者の共生サロンを設けて運営する場合には、上限100万円の助成金を支出する制度があったので、当会で申請して100万円をいただいた。ただいま建設中であるが、完成すれば高齢の先輩も迎えて、1年中そこに寄り合うことができる。

昭和40年代に真岡市に内陸の工業団地が造成され、北海道から九州まで全国から人が移り住み、真岡市の人口の1/3はそういう人たちで占められている。そのような人たちが人生の大半をここで暮らし定年を迎えている。当会にはそういうメンバーも多いのである。

今年の春は、55,000尾の鮭の稚魚を五行川に放流することができた。真岡市は周辺地域の中で、下水道普及率が最も高いところである。鬼怒川水系の水のおかげもあり、五行川は水のきれいな川である。下流の小貝川との合流点まで遡上した鮭は、小貝川の上流を選ばずに五行川に入ってくる。鮭は正直だ。

私たちは純粋に鮭を守る活動をやってきたが、そろそろ次のステップも考えなければならない。高齢のメンバーと末長く仲良くやっていける会の運営を考えることと、「新潟水辺の会」などのアドバイスを受けながら、大きな視野で資金調達を図ってゆくことを考えてゆきたい。しかし、「鮭守りの会」の原点として、5℃の水の中に入って作業する体感を忘れずに、常に水を考え魚の目線で活動する会でありたいと思っている。

 

④  今井 正子さん・・・「新潟水辺の会」が長野県までやってきて、熱心に働きかけてくれているのに、どうして受け皿をもっと大きくして、鮭が本格的に帰ってきたときのことを考えないのかと思っている一人である。

私の生まれ故郷は蓼科山の麓にあるが、23年前に大規模なゴルフ場の開発計画が持ち上がった際に、当初女性だけで「水と緑を守る会」を組織して反対運動に立ち上がった。(当時私は30代。水源を守るために山を手放さなかった祖父の影響があった。)ゴルフ場で使う農薬から水源を守れという運動は、八ヶ岳周辺に大きな反対運動として広がり、開発計画を中止に追い込むことができた。この運動で表舞台に立った人が女性として初めての町会議員となり、副議長なども務めて12年後に亡くなられた際に、私が推されて県会議員に立つことになった。当時私は地元の高校(望月高校、蓼科高校)の英語教師であったが、このとき決心して県会議員となり現在3期務めている。

22年前に長野県に「水源保護条例」ができたのは、「水と緑を守る会」の運動の成果であったと思っているが、今また地下水も含めて、水質問題や、水の管理に関心が集まってきていると思う。20年くらい前に「水辺環境保全研究会」が立ちあげられ、研究者や河川土木工事関係者が多く参加したが(新潟水辺の会もかかわってきた)、私は当初からの会員である。この研究会はその後、中心になっていた信州大学の桜井先生が辞められ、河川土木工事が少なくなってくると、先細り状態になってきた。私は議会で教育関係にかかわっていて、研究会にはしばらく出席しないでいたが、会長がいなくなったということで頼まれて、急きょ理事長を引き受けることになった。鮭の稚魚放流が始まったのがこの頃であるが、私たちはそこで新潟の方々とお会いし、鮭の稚魚放流に参加させていただくことになった。

今日おいでになっている皆さんは、本当に川と魚を愛し、河川地域を中心として町づくりをしていこうという方々なので、私は偉そうなことを言える立場にないが、そのような縁でパネラーを引き受けている。2010年の秋、1尾の鮭が65年ぶりに上田まで遡上してきたおりには、記念すべき鮭を抱かせていただくという素晴らしい機会も得ることができた。

長野県は栃木県と同じように海が無いので漁業に対する力が薄く、県では農政課の下に水産係が置かれている状態であるが、県会議員として川の問題については、水利権や水力発電を考え見直していくこと、川鵜や鷺などの有害鳥と外来魚の問題、また水の濁りの問題などに取り組んでいかなければならないと思っている。

真岡市の方が語られたように、川の水がきれいでなければ鮭は帰ってきてくれない。私たちは漁協の方々と力を合わせて、きれいな川豊かな川を守ってゆきたい。

<シンポジウムにおける質問・意見は次のとおり>

ア.川鵜の被害について行政の本気度が見えない。有効な対策はあるのか。(回答につい  ては、文中を参照されたい。)

イ.宮中ダム・西大滝ダムにおいて確保される流量の見通しについて。(回答については、長くなるので、当会の別資料を参照されたい。)

ウ.漁協では鮭・鱒を水産資源としてどのように考えているのか。(回答:やまめについては、成魚の放流と自己生産で十分と考えている。サクラマスについては、遡上の状況が不明である。)

エ.ブラックバスは食用になるか。(回答:ムニエルにして出す店がある。)

オ.欠席となった報告者・速水 悠さんの「千曲川上流域~中流域における土壌流出に関する調査報告」について、資料だけでもいただけないか。(回答:本人の意向で、説明なしで資料だけを出す訳にいかない。)

One comment

  • 佐藤 哲郎

    横山さん、すみませんね。長くて読むのに疲れたでしょう。
    昨年10月の「2011つうくり市民会議」開催レポートのように、講演や報告は要旨を簡潔にまとめることができますが、パネルディスカッションは短い中にも発言者の思いがモザイクの様に散りばめられていて、まとめにくい面があります。
    例えば、真岡市「鮭守りの会」の栁田 耕太さんの発言は、私にとってどの部分も面白くて、削ることができませんでした。
    シンポジウムの開催レポートについては、報告書か要旨を伝える記事か、皆さんのご意見もうかがって参りたいと思います。

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