「阿賀に生きる」23周年 2015年追悼集会「阿賀の岸辺にて」のお知らせ

毎年恒例の「阿賀に生きる」追悼集会を下記のように、この5月4日阿賀野市安田公民館で行います。
今年は新潟水俣病発覚50周年にあたります。新潟水俣病の発生を深く記憶に刻む必要があります。
そのため、水俣の哲学者ともいうべき緒方正人さんをお招きしました。皆様のご参加をお待ちしています。
新潟水辺の会会員・旗野秀人/大熊孝

 

「阿賀に生きる」23周年 2015年追悼集会「阿賀の岸辺にて」

主 催  阿賀に生きるファン倶楽部
後 援  新潟県・阿賀野市教育委員会
と き  2015年5月4日(日・祝)
ところ  阿賀野市安田公民館(地図はこちら
 

【プログラム】

司会・遠藤麻理さん(FMポート)

10:00 映画「阿賀に生きる」フィルム上映

12:00 映画「風の波紋」報告・小林茂監督

12:15 昼食・交流会

13:15 開会  ★黙祷
開会あいさつ 新潟大学名誉教授・大熊孝

13:25 講演「私もまたもう一人のチッソであった」
~水俣病が現代社会に問いかけること~
緒方正人さん(漁師・水俣病患者)×永野三智さん(相思社)

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緒方正人さん (1953年芦北町女島生まれ) 著作『常世の舟を漕ぎて』(世織書房、1996)

 

14:45 休憩

15:00 各地からの報告~「旅するお地蔵さん」お披露目・高橋伸行さんほか
★参治さんの白寿(99歳)を祝う! 大阪網かけ一座ほか

16:00 終了 かたづけ

18:00 大交流会 咲花温泉・柳水園(宿泊一万一千円・日帰り六千円・飲み放題)

 

☆ オプション企画
5月4日 小山素雲追悼展(当日限り会場ロビーにて・2014,5/8没)
★小山さんの書き残してくれた宝もん(表札、色紙、看板、なんでもOK)
ひろく募集中!(当日、それぞれ会場に持参して展示してください)

 

5月5日 午前9:00~ お地蔵さん、お墓参りなど(阿賀野川流域)
午後1:30~ 講演会・坂東克彦さん(弁護士)
ところ・ほんぽーと中央図書館(地図はこちら

 

チラシ(PDF)はこちらからダウンロードして下さい。

 

★ 宿泊予約、問い合わせ等
阿賀に生きるファン倶楽部・事務局・旗野秀人
携帯電話・090-3649-8945 FAX0250-68-5278
メールアドレス flag@cronos.ocn.ne.jp

通船川(阿賀野川古道)でカヌー遊びができることを知っていますか?

はじめに

 

大分前のことであるが、1992年8月1日~2日に第8回水郷水都全国会議が新潟で行われた。当時、当会は「新潟の水辺を考える会」と称していたが、この大会を開催するにあたって全面的に協力して、盛会裏に終えることができた。

 

その第30回大会が2014年12月6日、7日に広島大学で行われる。この第2分科会「伝える・つなげる:環境教育・エコツーリズム・環境市民活動など」で通船川での活動について発表する。その原稿を掲載しておく。

 

 

通船川とは?

 

阿賀野川はかつて信濃川に河口付近で合流していたが、1731年に阿賀野川が今のように直接日本海に流れるようになり、その残った河道が通船川と呼ばれている。通船川は舟運が盛んで、1878年には探検家のイザべラ・バード(1831‐1904)が通ったという記録もあり、昭和初期には外輪船が走っていた。流域面積は約16.85km2、流路延長は約8.kmである。

 

通船川と河口の森の位置

通船川と河口の森の位置

 

1964年の新潟地震で、地盤の液状化現象などで通船川の堤防が壊れ、津波による被害が出た。その復旧では、堤防を築かず、阿賀野川と信濃川の流入口と流出口に水門・閘門と排水機場を設置して、水面標高をT.P.-1.65mに設定した、いわゆる低水路方式が採用された。日本海の海面はおおむねT.P.+0.5 mであるので、その水位差は2m以上ある。1970年代は、水質が悪化し、全国でワースト5にまでなった川だった。その後、浄化用水の導入や下水道の整備で水質が徐々に改善され、2004年1月には環境基準がE類型からD類型(BOD8mm/l)に改訂された。

 

 

通船川が高校カヌー部の練習場になる

 

カヌーでの親水活動

カヌーでの親水活動

 

新潟市立万代高校には端艇部があり、国体などのカヌー競技に出場している。その練習を信濃川や郊外の新川などで行っていたが、学校の近くで練習したいということで、2008年から通船川の河口の森(図参照)付近で練習を始めた。また、NPO新潟水辺の会(以下水辺の会)も、舟による通船川の清掃活動を行うとともに、親水活動の一環として定期的にカヌー遊びを開始していた。

 

舟小屋建設前の駐車場

舟小屋建設前の駐車場

 

ソーラ電力の照明灯

ソーラ電力の照明灯

 

そうした状況下で、新潟県新潟地域振興局新潟地域整備部によって、親水機能を目的として、写真の桟橋が2010年3月に整備された。さらに、2013年3月に駐車場の舗装整備が、2013年3月と9月にソーラーによる照明灯2基が設置された。こうした整備によってカヌーの練習がし易くなったが、万代高校の生徒達は元の艇庫から桟橋まで数百mの距離をカヌーを担いでこなければならなかった。水辺の会としても、船外機付きボートやカヌーを数艇所有しており、その置き場に困っていた。舟小屋を作りたいが、そのためにはまず河川敷の占用許可を得る必要があった。

 

 

河川敷の占用と募金による舟小屋の建設

 

河川敷の占用主体は、従来、公益的な観点から公的な機関が原則であったが、2004年から国交省は特例措置として民間にも占用許可を出してきた。これを2011年から地域での合意が得られるなら一般化するということになった。新潟では、2012年2月新潟地域河川敷地利用調整協議会が開かれ、その後の調整の結果、2013年3月に通船川河川敷の占用許可が受けられるようになり(新潟県報第22号・平成25年3月19日発行)、水辺の会が占用許可を取り、河口の森に舟小屋建設が可能となった。

 

万代高校吹奏楽部演奏でのオープニング

万代高校吹奏楽部演奏でのオープニング

 

舟小屋の外壁に設置した寄付者銘板

舟小屋の外壁に設置した寄付者銘板

 

そこで、2013年9月から舟小屋建設の資金を募金で集めることにした。2014年3月までに、121人から約240万円の寄付があり、舟小屋を建設することができた。竣工式は、4月12日に神式の安全祈願をはじめとし、関係者の挨拶、万代高校吹奏楽部の祝賀演奏など、楽しく行われた。寄付者に感謝の意を表するために、希望しない者は除き、写真のように寄付者銘板を設置した。舟小屋は万代高校と新潟水辺の会が共同で使うことにした。

 

新潟市が設置してくれたトイレ

新潟市が設置してくれたトイレ

 

 

舟小屋とトイレの位置関係

舟小屋とトイレの位置関係

 

もう一つ困ったことがあった。それはトイレが近くにないことであった。その状況に新潟市が反応してくれて、写真のようなトイレが2014年8月に設置されたのであった。このトイレ掃除は水辺の会が新潟市から依頼を受け行っているが、万代高校端艇部の部員にも手伝ってもらっている。

 

 

カヌー教室への展開

 

新潟県、新潟市、民間の協働よって、カヌーを恒常的に楽しめる空間が構築された。2015年夏期には、新潟水辺の会としては万代高校OBなどの協力を得ながら市民向けのカヌー教室を開催する予定である。このカヌー教室は、基礎から阿賀野川、信濃川などへの遠征を含め、水辺の楽しさが身体に浸み込むように数回行い、いわゆる「川ガキ」を数多く育成することを目的としたい。

 

カヌー増艇にむけた寄付をお願いするチラシ(画像をクリックするとPDFファイルがダウンロードできます)

カヌー増艇にむけた寄付をお願いするチラシ(画像をクリックするとPDFファイルがダウンロードできます)

なお現在、カヌーを増艇するために、またもやカヌー寄贈をお願いするキャンペーンを行っている。

 

 

【リンク】

水郷水都全国会議東広島大会の案内

皆川袈裟雄著『よみがえれ!早川堀』の紹介

皆川袈裟雄著『よみがえれ!早川堀』(新潟日報事業社、2014年10月2日、1500円+税)

皆川袈裟雄著『よみがえれ!早川堀』(新潟日報事業社、2014年10月2日、1500円+税)

 

NPO新潟水辺の会・会員の皆川袈裟雄(けさお)さん『よみがえれ!早川堀』という本を新潟日報事業社より上梓された。本の出版には、執筆はむろんのことこまごまとした作業が必要であり、大変なエネルギーを必要とする。皆川さんは80歳を目前にそれを成し遂げられたのである。ただそれよりも、早川堀そのものを再生させるために皆川さんが費やしたエネルギーも膨大であり、ただただ敬服するのみである。

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大正14年(1925年)の新潟市街地の堀 (同書23頁から)

 

早川堀はかつてたくさんあった新潟の堀の一つであったが(図参照)、堀が埋め立てられてからは早川堀通りとして、新潟歴史博物館(みなとぴあ)から廻船問屋であった旧小澤家住宅の導線に位置しており、延長は約650mであった。ここを「早川堀通り道路整備事業」の一環として、そのうち約380mが水路として再生されたのである。

 

早川堀の再生には、地域住民と行政の間で徹底的な話し合いが行われた。2006年6月に「早川堀通り周辺まちづくりを考える会」が発足し、早川堀が完成する2014年3月にまでに333回の勉強会が開かれている。なんと9日に1回の割合で勉強会が開かれていたことになる。これに皆川さんは全部出席したとのことである。また、『早川堀通り周辺まちづくり時報』というニュースレターが発行されてきたが、創刊号が2006年6月26日で、最終号が2014年8月21日で、83号に達している。ひと月に1回は出されていたことになる。こうした記録を見るだけで、早川堀通りの住民たちがどれほどのエネルギーを費やされたのか、そしてそれをリードされてきた方々の努力と、『誰も置き去りにしないまちづくり』という思想の堅固さに感嘆する。

 

実は、NPO新潟水辺の会としては、同じ新潟の下町にある他門川(図参照)の再生を水辺の会発足当時から目標の一つに掲げていた。会員の上山寛さんが、その復活のパースをアメリカ・テキサスのサンアントニオを模しながら美しく描いてくれており、それをいろんなイベントで披露してきた。また、韓国ソウルで、高速道路で覆われていた清渓川の復活工事が始まった時には、2004年に見学し、2005年には内閣府からの補助金で他門川再生のフォーラムを新潟で開き、清渓川計画を指導していた李龍太氏を招へいし、大いに議論を重ねた。そして、2006年には清渓川の復元工事の完成を受けて、その視察にも行ってきた。また、私の新潟大学での研究室でも、2005年度の修士論文では陣内洋一郎君に『都市における水辺再生に関する研究-新潟市他門川を例に-』ということで研究テーマに取り上げてもらった。彼の研究では、地形測量結果から、部分的に小規模な堤防を造り、洪水時には水門で遮断すれば、通常時は自然流下で信濃川から取水し、他門川を通して、信濃川に排水可能であることが分かった。しかし、残念なことに他門川沿いの住民からは全く関心を寄せていただくことができず、われわれの他門川再生は夢に終わったのである。

2014/07/19の総会後に、皆川袈裟雄さんに早川堀を案内していただきました。

2014年07月19日の総会後に、皆川袈裟雄さんに早川堀を案内していただきました。

 

そうした経過を皆川さんは眺めながら、早川堀をどうしたら再生できるかを熟考され、早川堀通りの住民を早川堀再生の渦の中に巻き込んでいかれたのであった。本書では、その経過が克明に記されており、物事を実現するには、こうした過程を踏まなければならないことを教えてくれる。

 

ただ、皆川さんは、早川堀が復元したとは書かれていない。本書の冒頭には「平成26年3月、早川堀通りに堀をイメージした水辺が完成した。」と書かれている。確かに、今回完成した水路には、3区間に分けて、水道水を循環させているのであり、昔の早川堀とは全く異なると言っていい。3区間に分けたのは、1区間で水を流すと、水路には勾配をつける必要があり、末端はかなり深くなり、子供の落下などを考えると、水路を浅くしておく必要があり、3系統に分けたということである。そして、その細部に至るデザインの見事さもさることながら、いざという時の防災トイレや防災かまどなども考慮されている。

 

夕暮れは街の照明が水面に映り風情がある

夕暮れは街の照明が水面に映り風情がある

 

 

こうした、かつての堀とは異なるものを再生させて意義があるのかという問いが出されるであろう。しかし、堀が埋め立てられた後の早川堀通りの佇まいと、水路が再生されてからの佇まいを比較して、後者の方が断然良く、夕暮れのライトアップされた情緒は人をひきつけてやまないであろう。早川堀通りの住民の方々は、この水路を再生させた経緯に誇りを持ち、これからその活用・維持に魂を入れ、子孫に宝として残されることを期待してやまない。

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