日本人の伝統的自然観と治水のあり方―究極の治水策は400年前にある

公益財団法人 後藤・安田記念東京都市研究所が発行する月刊誌『都市問題』2018年6月号「特集:豪雨災害にいかに備えるか」に掲載された論文です。出版社の許可を得て掲載します。

タイトル「日本人の伝統的自然観と治水のあり方―究極の治水策は400年前にある」

著者 大熊 孝(新潟大学名誉教授)

リード文より

明治以降、人間が自然を支配して、洪水を征服するという考え方が強くなったが、それは、日本人の伝統的な自然観とは合わないようだ。

「山川草木悉有仏性」。自然のなかのあらゆるものは平等であるのに、人間のみが“欲”を持つ“うしろめたい存在”なのである。

そのことを自覚して、自然に対して謙虚になるところから始めたい。

 

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甲州・徳島堰と御勅使川扇状地の将棋頭の役割~ 釜無川・御勅使の治水システムを再考する~

2018年6月に土木学会の主催で開催された「第38回土木史研究発表会」で発表した論文を紹介します。

タイトル

甲州・徳島堰と御勅使川扇状地の将棋頭の役割~ 釜無川・御勅使の治水システムを再考する~

要約

徳島堰(とくしませぎ)は、釜無川の右岸・韮崎市円野町上円井地先で取水し、南アルプス市曲輪田新田まで の約 17 ㎞の用水路幹線を中心とする灌漑施設の総称である(図1 参照)。この用水路幹線は1667(寛文7)年春に竣工したと伝えられており、釜無川に平行して、右岸の巨摩山地の山裾を流れている。巨摩山地からは釜無 川支川が数多く流出しており、徳島堰用水路幹線はこれらの支川と交差せざるを得ず、現状ではほとんどが暗渠 で立体交差されている(表1 参照)。この交差の中で最難関は御勅使川との交差であり、その用水路幹線は当初は御勅使川と平面交差していたが、1700 年代初頭に暗渠で御勅使川の下を潜る構造になった。御勅使川扇状地では土砂礫を含んだ洪水氾濫が繰り返されており、この立体交差化は御勅使川の河床が上昇したからと考えられ る。この用水路幹線から取水する分水口は、御勅使川扇状地では土砂氾濫で閉塞しないように三角形状の「桝形 堤防」で護られており、用水の灌漑先である耕地は「将棋頭」で守られる構造となっている。

この「将棋頭」を中心とした釜無川・御勅使川の治水システムは、安藝皎一※1著「水害」(学生書房、1949) で紹介され、武田信玄(1521~1573)が編み出した治水システムとして著名であるが、徳島堰開削から見て100 年以上も昔のこととなる。本論考では、「将棋頭」は、徳島堰との関係で捉えられるべきもので、武田信玄の治水システムとして位置づけるには無理があることを論じる。

キーワード

釜無川、御勅使川、徳島堰、将棋頭、桝形堤防、川の立体交差、武田信玄、安藝皎一、高橋裕

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