甲州・徳島堰と御勅使川扇状地の将棋頭の役割~ 釜無川・御勅使の治水システムを再考する~

2018年6月に土木学会の主催で開催された「第38回土木史研究発表会」で発表した論文を紹介します。

タイトル

甲州・徳島堰と御勅使川扇状地の将棋頭の役割~ 釜無川・御勅使の治水システムを再考する~

要約

徳島堰(とくしませぎ)は、釜無川の右岸・韮崎市円野町上円井地先で取水し、南アルプス市曲輪田新田まで の約 17 ㎞の用水路幹線を中心とする灌漑施設の総称である(図1 参照)。この用水路幹線は1667(寛文7)年春に竣工したと伝えられており、釜無川に平行して、右岸の巨摩山地の山裾を流れている。巨摩山地からは釜無 川支川が数多く流出しており、徳島堰用水路幹線はこれらの支川と交差せざるを得ず、現状ではほとんどが暗渠 で立体交差されている(表1 参照)。この交差の中で最難関は御勅使川との交差であり、その用水路幹線は当初は御勅使川と平面交差していたが、1700 年代初頭に暗渠で御勅使川の下を潜る構造になった。御勅使川扇状地では土砂礫を含んだ洪水氾濫が繰り返されており、この立体交差化は御勅使川の河床が上昇したからと考えられ る。この用水路幹線から取水する分水口は、御勅使川扇状地では土砂氾濫で閉塞しないように三角形状の「桝形 堤防」で護られており、用水の灌漑先である耕地は「将棋頭」で守られる構造となっている。

この「将棋頭」を中心とした釜無川・御勅使川の治水システムは、安藝皎一※1著「水害」(学生書房、1949) で紹介され、武田信玄(1521~1573)が編み出した治水システムとして著名であるが、徳島堰開削から見て100 年以上も昔のこととなる。本論考では、「将棋頭」は、徳島堰との関係で捉えられるべきもので、武田信玄の治水システムとして位置づけるには無理があることを論じる。

キーワード

釜無川、御勅使川、徳島堰、将棋頭、桝形堤防、川の立体交差、武田信玄、安藝皎一、高橋裕

本発表論文の全文

全文(PDF)をダウンロードする。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください