「本家の災害」と「分家の災害」、そして「免疫性」

最近、土砂災害が頻発しているので、久しぶりに投稿させていただく

 

「本家の災害」、「分家の災害」という言葉をご存じだろうか?

 

また、土砂災害の「免疫性」という考え方をご存じであろうか?

 

まず、「本家の災害」、「分家の災害」であるが、本家といわれるところは、長い歴史の経験的知恵で相対的に災害に強いところに立地しており、本家が災害に遭うような場合は「天災」と考えるべきであり、分家は急激な人口増加のもとで災害に弱いところに立地せざるをえず、災害に対する備えが不十分であり、災害を受けやすく、分家の災害はいわば「人災」と言わざるをえないという考え方である。

 

この考え方によると、2014年8月20日に発生した広島市の土砂災害は典型的な「分家の災害」であり、「人災」と位置づけざるをえない。

 

確かに、3時間雨量217.5㎜という観測史上最多の豪雨であったが、今回被災したところは1960年代以降に開発されたところばかりである。

 

私は1972(昭和47)年の太田川水害以後、水害裁判などに関連して毎年のように広島を訪れてきたが、年々家が山に登っていく様子を見て、危ういものを感じてきた。

 

被災された方々にはまことに申し訳ない言い方になるが、都市計画で市街化区域として開発したものの、災害への備えを行政も個人も怠った結果ということである。

 

確かに、地球規模での異常気象で今まで経験したことのないような豪雨が発生し、本家が被災することも増えつつある。

 

例えば、3日雨量2000㎜以上という豪雨で2009年8月9日に台湾高雄市小林里で発生した深層崩壊は、まさに「天災」というべきであろう。

 

このような「天災」はハードでもソフトでも人知を超えており、防ぐことは難しい。

 

しかし、「分家の災害」は、古老に聞くなり、郷土史を紐解くことによって、自宅の立地条件をつぶさに点検し、危険性を認識するならば、少なくとも人命を護り、被害を最小限にとどめることは不可能でない。

 

「本家」と「分家」の相違は、人口が急増し、災害に遭い易いところが開発され始めた時点を目安にすればいいと思うが、基本的には人口の変動があまりなかった江戸時代に立地していた家は「本家」であり、明治以降の人口急増で開発・立地した家は「分家」とみるべきである。

 

無論、地域によって、この人口急増の時期が異なることは当然であり、江戸時代の立地であるから、安心ということはできない。

 

2014年7月9日に発生した木曽谷の南木曽町梨子沢での土石流災害は、狭い谷筋が江戸時代から開発されており、「分家の災害」とみるべきかもしれない。

 

次いで土砂災害の「免疫性」であるが、破壊現象は一旦破壊すれば次に破壊する条件が整うまで破壊しないということで、「一度おこれば少なくとも数百年は、同じところに同じ現象は起こることはない」(小出博著「日本の国土 下」東大出版会、1974年、539頁)という考え方である。

 

土石流などで渓流に堆積していた土砂が出切ってしまえば、当分、同じような規模の土石流の再発はない。

 

しかし、土砂が出切らず残っていたり、勾配の緩くなった堆積帯の土砂の再移動には注意が必要である。

 

この考え方を前提とすると、災害復旧のあり方も変わってくる。

 

しかし、この考え方は十分認識されておらず、土砂が出切って岩盤が出ているところに砂防ダムがしばしば造られてきた。

 

効果的な災害復旧のためには、この「免疫性」を再検証すべきであると考える。

 

なお、沖積平野における洪水氾濫による水害にも、埋め立て造成などによる大きな地形改変がない限り、「本家の災害」、「分家の災害」は当てはまるが、「免疫性」は当てはまらず、「繰り返し現象」であることを注意しておきたい。

 

それは、沖積平野は地形年代で見るならば形成途上にあり、洪水氾濫は破壊現象ではなく、建設現象だからである。

 

この「本家の災害」、「分家の災害」、「免疫性」を提唱したのは、小出博(1907~1990)であり、「日本の国土 下」(前出、538~540頁)に詳しく書かれている。

 

小出博の著作には下記のように河川関係の著作が多いが、私は大学院生時代、当時東京農大教授であった小出に私淑し、多くの教えを受けた。

 

特に河川の現地研修に随行して、地形・地質を含め「川と人とのかかわり」の見方について直接的な指導を受けた。

 

また、私の博士論文「利根川治水の変遷と水害」(東大出版会、1981年)も小出の指導に負うところが多く、さらにそれを科研費で出版する際にも多大な支援を受けた。

 

私は、地球的規模の異常気象で災害の頻発する時代になっているが、まだこの小出の指摘は多くの場面で通用すると考えている。この考え方に立って、自宅の立地条件を再検討することをお勧めしたい。

 

小出博(1971年7月、大熊撮影)

小出博(1971年7月、大熊撮影)

<小出博の主要著書>

「応用地質-岩石の風化と森林の立地」(古今書院、1952年7月、177頁)

「日本の水害-天災か人災かー」(編著、東洋経済新報社、1954年、277頁)

「応用地質-岩石の風化と森林の立地」(古今書院、1952年7月、177頁)

「山崩れ-応用地質Ⅱ」(古今書院、1955年8月、205頁)

「日本の地辷り―その予知と対策―」(単著、東洋経済新報社、1955年9月、259頁)

「日本の河川」(東京大学出版会、1970年9月、248頁)

「日本の河川研究」(東大出版会、1972年、377頁)、

「日本の国土 上・下」(東大出版会、1973年8月、9月、556頁)

「利根川と淀川」(中公新書384、1975年1月、220頁)

「長江 自然と総合開発」(築地書館、1987年7月、433頁)

 

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