堤外・堤内についての補論

この7月29日、30日に、新潟ではまたしても大きな水害に見舞われた。山間部で小河川が土石流に近い洪水となって小さい谷平野を水没させ、阿賀野川は史上最大の1万m3/sを越える洪水となり、大河津分水も8000m3/sに達する洪水を流下させた。仮に、明治以降の阿賀野川改修や大河津分水がなければ、明治29(1896)年のいわゆる横田切れと同じように越後平野は完全水没していたことであろう。この水害についてはいずれ『水辺だより』などで報告したいと考えているが、信濃川堤外の耕地がすっかり水没してしまい、堤外・堤内についてもう少し論じてみたくなった。

堤外は、やはり、人知の及ばぬところ、あるいは、権力の及ばぬところ、すなわち自然状態のところということであろう。それに対して、堤内は、人為の及ぶところ、管理下にあるところということになろう。

鬼は外、福は内という言葉があるが、「外」は人為の及ばぬところということである。

また、出雲阿国は堤外で踊り、歌舞伎を創出したといわれているが、芸術の出自はやはり権力の及ばぬところからに本質があるのではないか?

堤外をコンクリートで固め三面張りにすることは、一見、自然を人為の下に置いたかに見えるが、洪水で結局はコンクリートもはがされ、自然の状態に復元されてしまうことが多い。

堤外と堤内の境界である堤をどこに置くかが、河川工学上もっとも難しいところであるが、これを論理的に決定する方法はない。歴史上の試行錯誤の結果が、今の堤防法線といえる。

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