魂が還りたがる時空間? -映画『阿賀に生きる』が問いかけるもの-

映画『阿賀に生きる』の佐藤真監督に私が初めて会ったのが1987年10月の「新潟の水辺を考える会」(2002年からNPO法人新潟水辺の会)立ち上げシンポジウムの時であり、『阿賀に生きる』製作委員会代表を引き受けたのが1989年1月のことであった。

 

その後、私は資金集めに奔走し、全国約1,500人から約3,000万円の寄付金を受け、約1,000万円を借金し、合計約4,000万円で、映画が完成したのが1992年4月のことであった。なお、その借金は、さまざまな映画賞をいただき、その賞金で完済することができた。

 

その後の映画の上映活動は、ほぼ収支プラスマイナス0というところであった。 それからすでに23年が経過しているが、いまだに私の肩書として、ありがたいことに『阿賀に生きる』製作委員会代表が通用している。これは映画『阿賀に生きる』がその後もずっと上映され、生き続けているからであろう。

 

その理由は何か? あの映画は、表面的に言うならば、自然と共生してきた人々の日常を描いたもので、自然と共生しているがゆえに新潟水俣病にならざろうをえなかった実態が描かれている。

 

しかし、観客を惹き付けてやまない本質は、「魂が還りたがっている時空間」が表現されているからではないかと、最近やっと考えるようになった。

 

「魂が帰りたがっている場所」という言葉には、内山節著「里の在処(ありか)」(新潮社、2001年5月)で15年も前に出会っていたが、遅ればせながら『阿賀に生きる』の時空間が、魂が還りたがっている「里」であることを、やっと認識できるようになったということである。

 

また、『阿賀に生きる』完成後、23年間にわたって阿賀野川沿いの安田公民館などで旗野秀人さんが中心となって追悼集会『阿賀の岸辺にて』が行われつづけているが、毎回100人以上の人々が、いわば「還って」きてくれている。ということは、追悼集会そのものも参加者にとって「魂が還りたがっている里」になっているということである。

 

実は、「魂が還りたがっている場所」ということを強く実感したのは、2014年10月3日から5日の三人委員会水俣哲学塾で水俣を訪ね、水俣病センター相思社の遠藤邦夫さんに茂堂を案内されたことにあった。

 

茂堂では、遠くに、矢筈岳(標高687m)が見え、沖に出ていった漁船は、この矢筈岳を目あてに帰ってくることになる。私は、なんと美しい景色かと、心の底から感じ入った。当然、ここに生まれ育った人々は、日常的に還ってくるところであるとともに、死んだ後も魂が還ってくるところでもあるに違いない。

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写真・遠くに矢筈岳が見える茂堂の景観

(大熊撮影:2014・10・3)

 

この茂道では、無尽蔵に魚が取れたが、漁村として成立したのは、水俣市の人口が増え、魚の売買が可能になった明治以降とのことである。それまでは、食べられるだけ獲れれば、それでこと足り、飢えるということはなかったという。

 

それは、阿賀野川でも同じであり、川の恵みはあまりに豊かで、それを基軸として食生活が営まれていた。無論、米への欲求もあったが、米だけに生活が支配されていたわけではなかった。

 

阿賀野川も不知火海も、そこにいるだけで、生存が保証され、継承・循環されていく「里」であったのである。生を終えた後でも、そこにずっと存在し続けたい場所であり、魂の安住の地、いわばユートピアであったのである。

 

日本には古くから、「山川草木悉皆(しっかい)仏性」という考え方がある。これは、山川草木、すなわち人間のみならず自然界のあらゆるものが仏になりうる、あるいはあらゆるものが仏の心をもっているという見方である。

 

この言葉は、鎌倉時代の初期に、法然や親鸞の浄土教的な仏教が普及するにつれて明確に言われるようになったが、この考え方は縄文時代から自然のあらゆるものに神が宿ると考えてきた思考の延長上にあり、われわれ日本人にとって違和感はなく、腑に落ちる考え方であったのではないかと思う。

 

ところが、人は人として生きているうちにどうしても汚れてしまう。われわれの命は他の多くの命をもらって生きながらえているのであり、根本的に「うしろめたい」存在である。多くの日本人は、それが救済されるには、山川草木悉皆仏性といわれる自然の世界に人が還っていくことが必要であると考えてきた。

 

その考え方の表れの一端が、食事をするときにそれらの命に感謝して「いただきます」という習慣になったといっていいだろう。

 

映画『阿賀に生きる』の中の登場人物たちは、その立ち振る舞いや言動に見られるように、その「うしろめたさ」を十分に自覚したうえで、誇り高く生きていたのであった。だからこそ、『阿賀に生きる』は「魂が還りたがる時空間」を形成しているのだと思う。

 

ところが、そこに近代が強引に入り込み、廃液を垂れ流し、安らかに無事な暮らしをしていた人々をほんとうの地獄に陥れたのであった。しかも、その近代の担い手たちは、未だにその「うしろめたさ」を意識せず、「山川草木悉皆仏性」の自然界を破壊し続け、人々を地獄に追いやり続けているのである。

 

それは、水俣病だけでなく、3・11の原発問題や、八ッ場ダムに象徴されるダム問題に如実に表れている。

 

いずれも人類が初めて経験する自然破壊である。有機水銀や放射線は毒を防ぐとされた母体の胎盤を通過し、核燃料のゴミやダムの堆積土砂の処理方法はない。

 

さらに、ダムの土砂堆積は海岸浸食を招くとともに、川の生態系を破壊し続けている。

 

そして、深刻なことに、それを起こしている近代人は、かつてのように明確な敵として立ち現れるのではなく、緒方正人さんが苦悶しながらずっと指摘し続けてきたように、加害と被害の渦巻くわれわれ自身の中に矛盾するままに存在しているのである。

 

「魂が還りたがっている場所」は、映画『阿賀に生きる』の中だけで、もはや現実には存在しえないのか?

 

せめて「魂が還りたがる場所」へのベクトルだけは堅持したいものであるが、そのベクトルの立ち位置は砂上の楼閣でしかない。

 

大熊 孝(映画『阿賀に生きる』製作委員会代表)

 

 

出典「ごんすい137号」、一般財団法人水俣病センター相思社掲載許可

 

*三人委員会哲学塾:哲学者・内山節、環境倫理学・鬼頭秀一、河川工学・大熊孝が1997年から掛川、飯山、新潟、片品、清里などで開催してきた哲学塾。水俣哲学塾は相思社の永野三智さんが中心となって企画・運営してくれた。

 

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