待望の鮭が、西大滝ダム魚道に連日遡上しています-2

◎九州・福岡県嘉麻市遠賀川にある「鮭神社」

日本には、東北や北陸地方を中心に多くの鮭を祭った神社が多数あるそうだが、「鮭神社」という名の神社は、島根県と福岡県嘉麻市、そしてその分社した北海道広尾町の3ヶ所のみである。福岡県嘉麻市を源流とする遠賀川(流路61km、九州10位)は、鮭が遡上し生息する南限の河川として学術的に知られる。河口より40km上流に、1200年前に建てられた「鮭神社」がある。

福岡県嘉麻市遠賀川沿いにある「鮭神社」

筑豊炭田を流れる遠賀川は、炭鉱が全盛期だった昭和初期には川の汚染が進み鮭は見られなくなった。しかし、エネルギー革命により炭鉱は閉鎖され、その後地域の方々や行政の取り組みが進んだ昭和53年、遠賀川の下流で一匹の鮭が戻ってきた。これを機に魚道の整備や鮭が産卵できるような河川の整備が始まり「遠賀川源流サケの会」が発足し、鮭の孵化と稚魚の放流活動が始まった。

現在は新潟県三面川から鮭の受精卵を譲り受け、稚魚の育成を行い、地域の学校と一緒になって3月下旬に約4万匹の鮭稚魚を遠賀川水系に放流している。平成3年には9尾の鮭、20年には85㎝の大きな鮭が戻っている。

前置きが長くなったがその「鮭神社」を見たく、7月下旬筑後川の河川のゴミ調査の後お訪ねした。嘉麻市役所を訪ね「鮭神社」の場所と「遠賀川源流サケの会」青木会長の電話番号を教えて頂き、突然ながら自宅に向い話を伺った。この「鮭神社」の祭神は、神話「海幸彦・山幸彦」の海幸彦と山幸彦と女神の豊玉姫との事。

鮭神社拝殿内に奉納されている鮭の額

遠い昔、収穫の秋に遠賀川を上って来た鮭は、嘉麻市の田畑に豊かな実りをもたらす神様の使者として大切にされ、現在も信仰の対象として鮭を食べない風習が残っている。毎年12月13日には、無病息災、五穀豊穣を祈る「献鮭祭」が行われる。川沿いの「まないた石」の上で清められた後境内の鮭塚に奉納される。鮭が遡上しない年は、大根の縦割りにとうがらしの輪切りの目をほどこし、鮭に見立てて供えていたと言う。

10月12日、「遠賀川源流サケの会」青木会長と江頭事務局長が三面漁業協同組合に伺うとの事で新潟に来られた。翌13日、信濃川の鮭の流し網による捕獲は10月20日よりではあるが、通船川と信濃川の体験をしていただくため当会の清流回復3号にて山ノ下閘門より信濃川に出た。

昭和橋を上流に向う横山船長の操船する清流回復3号(左の江頭事務局長、右の青木会長)

その帰り、西大滝ダムで監視している高水漁協の宮本さんより電話連絡があり、今年1尾目の鮭の捕獲があった。その後、三面漁業協同組合に行っている際も3尾の鮭の遡上があり、当日だけで4尾の大記録を打ち立てた。これは「鮭神社」の海幸彦の神様が招いたのではと考えてしまう。

西大滝ダム魚道で捕獲後、上流に放流された4尾の鮭(高水漁協組合員 宮本さん撮影)

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