矢代川の破堤氾濫に関する覚書

大型の台風18号が、2013年9月16日午前8時頃に愛知県豊橋市付近に上陸し、関東甲信越から東北を縦断して太平洋に抜けた。この台風では多くの被害が出たが、特に京都・滋賀に豪雨があり、淀川支川桂川では嵐山また由良川では福知山で大きな氾濫があった。

新潟県では妙高市の関川支川矢代川で右岸が破堤し、洪水氾濫があった。破堤直後ではなかったが21日に現地を訪ねた。この水害は、典型的な“霞堤”効果で氾濫水が速やかに河道還元され、被害が甚大にならずに済んでいたので、それについて報告しておきたい。

破堤した場所は、下の地図の印のところである。17日付の新潟日報朝刊では「土砂がたまった中洲があり、水の流れを悪くして決壊につながった・・」と報道されていた。破堤箇所の直下には三ヶ字頭首工という農業用水の取水堰があり、その影響で上流に土砂が堆積しやすかったものと思われる。私が現地に行ったときには、中洲は復旧作業のため移動されており、元の形状は確認できなかったが、かなりの土砂が堆積していた模様である。

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 ただ、この氾濫で特徴的なことは、稲の被害はあったが、家屋の浸水被害は土間が浸水した程度で大きな被害に発展しなかったことである。真ん中の写真にあるように、流水の直撃を受けなかったところは、稲は冠水しておらず、稲刈りができている。また、氾濫域には住宅が多く立地していたが、氾濫水の水位が低く床下浸水もほとんどないという状況であった。これは、一番上の写真にあるように、下流の堤防が霞堤となっており、この不連続部から氾濫水が河道還元されており、氾濫の水位の上昇に限度があったということである。

 霞堤というのは、堤防が不連続で、堤防が重複する部分がある形態をいうのであるが、私が学生の頃は、この重複部分に下流から洪水が逆流して溜められるので洪水調節効果があると教えられた。しかし、霞堤は洪水が逆流しにくい急勾配河川に造られており、その本来の機能は、上流で破堤氾濫があった場合、これを速やかに河道に戻し、氾濫を拡大せず、水害をできるだけ軽減することにあったのである。(このことは拙著「技術にも自治がある」(農文協、2004、pp.148-164 )に詳しいのでそれを参照されたい。)

 今回の事例はまさにその典型例である。仮に、この霞堤部分が塞がれていたら、氾濫水が滞留して、水位が上昇し、稲は冠水したであろうし、住宅も床上浸水の被害を受けたに違いない。

ただ、もう1点、氾濫流入量も少なかったことが幸いしている。一番下の写真に見られるように、破堤状況は、手前の堤防天端の草が倒れておらず越流破堤でないことを示しており、洗掘で破堤したものと考えられるが、堤防が根こそぎ洗掘されたのでなく、高水敷きのような高みが残されている。これによって、洪水の一部しか流れ込まず、流れ込んだ氾濫水も、下流の霞堤部分から川に戻されており、水位の上昇が抑えられたものと考えられる。

 ここで問題なのは、何ゆえ、氾濫水の通り道である霞堤の内部が宅地開発されたかである。私が聞き込みをした堤防脇の家では、ここに7年前に住宅を建て、引っ越してきたとのことであったが、ここがこのような氾濫を受けるところであることはまったく想定しておらず、宅地を購入する際に、そのような説明はされなかったとのことである。都市開発行政と河川行政は縦割りで行われており、まったく行政間の連携がないまま宅地開発が行われてきたということである。

今、滋賀県では、嘉田由紀子知事の肝煎りで「流域治水推進条例」が県議会にかけているが、氾濫の可能性のあるところに家を建てる場合には、地盤のかさ上げや近くに避難所を用意するなどの建築規制が条件となる。これには不動産業などからの反対が多いとのことであるが、この条例が県議会を通過することを期待したい。

(2013・9・24 大熊孝記)

5 comments

  • 佐藤 裕和

    佐藤です。記事を拝見させていただきました。恥ずかしながら、この氾濫を知らずにおりました。昨年の夏、関川・矢代川の自主決壊調査の際、この地点に行っておりましたが、いずれ、再度現地に入りたいと思います。ところで、文中の「三ヶ字頭首工」とは、「十ヶ字頭首工」ではないでしょうか?現地で撮った写真を頼りにしていますが、私の不勉強でしたらすみません。

  • 楊 佳寧

    とても勉強になりました。

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