第4回 信濃川大河塾報告-1(事前講座)
「信濃川(千曲川)源流を訪ね、源流と最下流の「みずつち」を考える旅」
新潟市の中心部を流れる信濃川は、甲斐(山梨)、武蔵(埼玉)、信州(長野)の 3県境に位置する日本百名山のひとつである甲武信岳(2,475m)に源流を発する。流路延長367km、年間流量160億m3、流域面積11,900km2 を有するわが国を代表する河川である。上流部の長野県内では千曲川と呼び、新潟県では信濃川と呼ばれています。
信濃川流域全体図と今回の信濃川大河塾の行程
最下流にある新潟市は、信濃川のもたらす豊穣な水と土によって出来上がり、その恩恵を受けています。新潟市民は大いなる親しみを信濃川に抱いていますが、千曲川(214km)が信濃川(153km)より長いことや、上流部の川の歴史や川文化、利用状況、水環境の様子など、知らないことばかりです。
新潟を育んでいる「水」と「土」の源流を訪ねることで故郷への誇りと愛着が生まれ、新潟市の新たな魅力の発見につながり、新潟の水と土の文化について考えるきっかけにしていただけるのではと企画し、新潟市の「みずつち文化創造2013市民プロジェクト」に応募、審査を経て助成が決定されました。
この度は、信濃川をよく知って居られる方も、また、ほとんど知らない方も対象に、もっと信濃川を知ってもらうことを目的に、最下流の新潟市より信濃川をバスと電車で一日かけて千曲川源流の郷まで遡り、源流の郷の川上村で宿泊、翌日は甲武信ヶ岳山頂直下にある千曲川源流3kmまでを徒歩で訪ね、信濃川364kmを実体感するものです。
◆事前講座
8月23日(金)午後6時より新潟市中央公民館5階にて、「信濃川(千曲川)源流を訪ね、源流と最下流の「みずつち」を考える旅」の事前講座が行われました。
今回の企画の大きな柱のひとつは、現地の人の話をお聞きすることになります。
事前講座でも源流の郷・川上村役場政策調整室の宮田 雅和さんに新潟まで車で5時間かけて最下流の新潟に来ていただきました。雨の降る悪い天気の中でしたが、朱鷺メッセの展望階より信濃川と市内を見ていただきました。その後、信濃川ウオーターシャトルでふるさと村までの信濃川体験、そして日和山海岸よりの日本海と佐渡を見て少し新潟を理解してもらった後、信濃川最上流部の話をしていただきました。
信濃川大河塾のチラシと事前講座風景
大熊代表より今回の企画説明と挨拶があり、2008年UX21制作で大熊代表の出演された「水は誰のもの」(13分間)を見てから、「川とは」の講座が1時間ありました。
大熊代表から講座「川とは」
「川とは」 「ダムとは」
信濃川全体図と信濃川の勾配図
次に源流の郷・川上村役場の宮田 雅和さんより「川上村の紹介ビデオ」(15分間)のあと、「野菜王国川上村」について説明がありました。
信濃川の源流にある、野菜王国川上村を説明の宮田さん
戦前の川上村は、「「ここから更に千曲川の上流に當って、川上の八ヶ村といふがある。その邊は信州の中でも最も不便な、白米は唯病人に頂かせるほどの、貧しい、荒れた山奥の一つであるといふ。」(大正元年 島崎藤村;千曲川のスケッチより)
村民の暮らしは極貧。わずかに収穫される米は年に二か月分のみの状況。現金収入は、収量の少ない養蚕と仔馬生産のみであった。
予備調査で訪れた際の川上村(2013.5.6)
過酷な作物生育条件を有利な条件へ・・・過酷な気象条件を逆手に取った「夏出し野菜」に発想を転換した。
昭和25年、朝鮮戦争勃発により米軍の重要な食料であるレタスの栽培適地を駐留米軍が探していた。その後の日本の復興と経済成長により食生活が洋風化し、「レタスの生産」により川上村の生きる道が生まれた。
川上村・農家・農協の三者が同じ目標に邁進し、昭和40年から本格的に高原野菜を生産し国の補助事業を導入して1500haを開墾した。
結果、現在は農家一戸平均の耕作面積は約3.1ha。村の遊休農地は皆無。さらに4か月で1年分働く、つまり3倍の過重労働により、村の一戸当りの平均年収 2,500万円となった。
過酷な気候を逆手に生かした川上村の農業を説明する宮田さん
だが現在、●レタス根腐れ病、●ニホンジカの食害(被害額1億6,000万円)●野菜価格の低迷、●労働力不足により外国人実習生で労働力をやり繰りしている。
●TPP問題、●人口減少に直面している、●花嫁不足と事で、今年10月25日(金)~27日(日)川上村婚活イベント「里コン」2013を行うとのことでした。
埼玉県秩父市と山梨県山梨市に接する川上村、信濃川・千曲川水源地の道標
その他、信濃川・千曲川の源流への道順の説明のあと参加者よりの質問に答え、2日後川上村にてお待ちしていますとの挨拶で終わりました。
第4回 信濃川大河塾報告-2(初日につづく)