第6回 信濃川大河塾 報告 (2015年9月8日(火)・2日目その1

 

2015年9月7日(月)8日(火)の2日間の日程で信濃川大河塾が行われました。

 

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9月8日(火)ツアー2日目の幕開けは、毎回恒例となっている「早朝散歩」から始まりました。加藤副代表セレクトによる宿泊地周辺の史跡を探索する人気オプショナルツアーです。

集合出発は朝食前の午前5時30分。早朝にもかかわらず半数以上の方が参加し、宿のビレッジ安曇野を出発です。

「早朝散歩」といいながら、今回は距離的に少しあるのでマイクロバスに乗車しての散策となりました。

 

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最初に訪れたのは、拾ヶ堰(じっかせぎ)。この拾ヶ堰は松本市の奈良井川から取水し、梓川を横断し、安曇野の標高570mの等高線に沿って流れ、烏川に至る15kmの灌漑用水路です。

 

 

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拾ヶ堰は1816年(文化13)江戸時代後期、農民達の手により完成した水路で、その傾斜は1km進んでわずかに30cm。つまり15km進んでの高低差が5mという、水が緩やかに流れるのが特徴です。この拾ヶ堰が完成するまでは、この一帯は水が土壌に染み込んでしまう不毛の土地だったそうです。

ともかく先人の土木技術の高さには、一同、感心してしまいました。

 

 

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次に訪れたのは安曇野市内にある穂高神社です。ここは里宮と言われ、上高地に奥宮、奥穂高岳山頂に嶺宮があるそうで、古来、三輪山のように山を信仰する日本人の特徴なのでしょう。

 

 

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境内には安曇比羅夫を奉る若宮社がありました。神社の説明書きによれば安曇比羅夫は、天智天皇の命により、百済の救済(白村江の戦663年)に出陣し没したそうです。

元々、安曇氏は海人の一族で福岡県志賀島の出身だそうで、それが山里の、この地に奉られているのは大変興味深いものです。古代史のロマンを感じました。

 

 

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次は曹洞宗 吉祥山東光寺を訪ねました。ここは信州七福神の一つで、門前の吉祥仁王様に願掛けし、その前の大下駄を履くと願いが叶うと言い伝えられています。

 

 

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いやまあ、どうでもいいけどデカ過ぎでしょう。ともあれ仏教護法の金剛力士の御加護を得られのは有り難いものです。

 

 

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穂高川の土手にある。早春賦の碑に来ました。「早春賦」は大正2年に発表された歌で「日本の歌百選」にも選ばれています。

「早春賦」は信州の夏期講習会の教材としてつくられ、遅い安曇野の春を待ちわびる心を歌ったものといわれ、その後、多くの人々に愛唱されてきた、との事でした。

石碑の近くに設置されたソーラーオルゴールが時間外のためか鳴らず、期せずして参加者による生コーラスで唱和させていただきました。

 

この後、早朝散歩は終了。宿泊宿へ戻り、朝食に就きました。

毎回、色々な史跡巡りをする早朝散歩。今回も現地へ足を運ばないと解らない事を知られる良い機会となりました。

 

 

第6回 信濃川大河塾報告は、数回に分けて掲載させていただきます。

 

【信濃川大河塾は三井物産環境基金を受けて実施されています。】

 

 

 

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