簗(やな)は楽しい!

川には、水を塞き上げて取るための堰、貯めるためのダム、堤防の代わりなる水門など、川を横断する構造物がたくさんあるが、私が好きな川の横断構造物は魚を取るための簗(やな)である。簗では、いつも子どもがはしゃぎまわっており、最後にはたまらず裸になってしまう。子どもを裸にする力のある構造物は簗しかないのではなかろうか!

簗は、普通、材木と川に転がっている石とを組み合わせて作られる。材木は水に浸かっている限り、100年経っても腐りはしないが、濡れたり乾いたりすると、太い材木でも20年ぐらいで腐ってしまい、作りかえざろうを得ない。これを不便と考え、最近ではコンクリート材で簗をつくっていることもあるが、これは面白みがなく、裸になるとコンクリートに擦れて傷がつきやすく、子どもも裸になることはない。20年程度で作り変えるということは、変化して止まない川と付き合う技術がきちんと伝承されることになり、技術の伝承という観点からは「腐る」ということは重要な要素である。

20年ごとに作りかえる代表事例は伊勢神宮の式年遷宮であるが、建築技術は無論のこと、工芸品の技能や、材木を調達する森林の維持管理まで含め、時間軸の中に人と人との関係を埋め込んだ、すぐれた伝承システムであり、腐らない素材で永遠性を確保する技術のあり方と対極をなすといっていい。

腐る自然素材を前提として、人間関係を大切にして作り変えながら永遠性を担保する技術と、腐らない人工素材でできるだけ人手をかけず永遠性を確保する技術と、どちらがいい技術といえるであろうか?

すでに投稿してある「ダムへの認識を改める」に、鹿児島の肝属川支川・串良川にある川原園井堰を事例に、その辺のことを解説してあるので参照して欲しい。ただ、そこには堰に使われている粗朶(そだ、雑木の枝類)が洪水時に浮いて流されると書いてしまったが、2011年2月現地を訪問したところ、粗朶は水圧に押されて浮くことがないとのことであった。現地を見ずして想像で書いてはならないという典型であり、ここに深く反省の意を表します。

簗で裸になった女の子 (2007、大熊撮影)

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