韓国ウルサン市「(社)テファ河(太和江)保全会」新潟来訪-3

7月28日(土)ウルサン市の方々が新潟に来てもう3日目となったが、本日も大変暑い中での見学となりました。8時までに大熊代表、梶副代表、大熊宏子世話人、大崎世話人、山岸世話人、長谷川世話人、加藤の7名がグランドホテルに入り8時20分、韓国の方々と一緒にバスに乗車し山ノ下閘門排水機に向かいました。

通船川は昭和39年の新潟地震では甚大な被害を受けました。その後、水位を人工的に海面下にする「低水路方式」に改められ、上流の津島屋と山ノ下にセクターゲート方式の閘門が設置されています。山ノ下閘門排水機で、通船川の役目を山岸世話人より説明を受けた後、実際の閘門操作をよる川の水位が2m変化する様子を見学しました。

河口の森船着場では、万代高校端艇部の学生さんが練習している姿を見学しました。時には「沈する」時の話をしましたら、韓国の共同代表の方は(写真右下)川の水をすくって口に含んで通船川の水質を確認し、これは12年前のテファ河と同じだと言っていました。今後10年でどこまで水質を改善した環境を後世に残せるか、新潟県、新潟市と当会の真価が問われていると強く感じました。

その後は第1貯木場、松崎ニュータウンの階段護岸船着場、津島屋閘門を巡りました。阿賀野川河口を臨む土手で、韓国テファ河に遡上する鮭についての話をお聞きしましたら、鮭は食べるより海の神様として大切に扱っていると言っていましたのが印象的でした。

予定より少し早く「オオヒシクイとオニバスの里・水の公園 福島潟」のビュー福島潟に到着し、6階の展望ホールでゆったりと福島潟の説明を受けました。屋上から眺めた五頭連峰は、真夏の太陽を浴びてはいるものの、ぼんやりと雲に覆われていました。

新潟県立の環境と人間のふれあい館では、阿賀野川と水俣病について説明をしていただきました。大変重い話でしたが韓国の方は熱心に話を聞いており、時々するどい質問をしていました。

昼食は沢海の北方文化博物館の「みそ蔵定食」をいただきました。韓国の方に偏食はないと思いますが、どうも食べず嫌いがあるように感じました。それは鮭のイクラであったり、酢の物であったり、食べればおいしいと思うのですが多くの方が残したように思いました。その点、もう少し会話が出来たら聞いてみたかったのに残念でした。

鳥屋野潟へ向かうバスの中で韓国の電力事情について話を伺いました。すると通訳のヨ ユニさんがスマートフォンを2台出して何やら始めたのです。どうもインターネットで韓国の発電の構成比などを調べたのでした。細かい数値は覚えきれませんでしたが、原子力25%、水力発電8%、現在韓国で稼動している原子力発電所は21基との事でした。またヨさんが言うには、韓国の電気料金が安すぎるために、ムダに電気を使っている傾向があると言っていました。昨年韓国で大停電があっただけに、どうゆうことかその場では理解できませんでした。皆さんがお帰りになってネットで調べてその辺の事情がわかりました。

「韓国では石油・石炭・天然ガスなどをほぼすべてが輸入で、資源価格の高騰で発電コストが上昇していました。ところが韓国政府は安い電力価格をウリに企業の誘致をしていたため、十分な電気料金の値上げを認めなかったようです。韓国の電気料金は日本と比べ30~40%安く、一人あたりの消費電力は、世界で3番目の多さになっていると日経は書いています。」

鳥屋野潟の清五郎一本松では新潟市の治水の話となりました。その後親松排水機場前の信濃川堤防の上で、信濃川を行くウオーターシャトルの水面と鳥屋野潟の水面を比較していただき3時前、予定より少し早くホテルに戻り、休憩組と市内散策組に分かれて少しくつろぎました。

暑さも少し安らいだ夕方の5時半、水と土の芸術祭のメイン会場の万代島で作品見学をしていただきました。通訳のヨさんは紀伊国屋で日本語の本を買ってきたそうです。勉強熱心な方ですね。

万代島では小川メインプロジューサーより案内していただき、メイン会場を一巡しました。その中で、かつての万代島鮮魚センターの冷蔵庫で行われている「シビタ」の映像を見学できました。「シビタ」とは、アイヌ語の“鮭の捕れる土地”という意味の新発田(シバタ)によるもので、製作者の吉原悠博さんの故郷です。新潟市をもっと知っていただくにはこれが良いのではないかと思いながら、20分間の映像を皆さんで鑑賞できました。

この作品は、本来中国や韓国の芸術の結晶である縦長の掛け軸の構図を用いている、大変ユニークで鮮明な映像です。信濃川河口の新潟市から始まり、甲武信ヶ岳の源流までの367キロの映像をまとめたものです。町並み、洪水跡と石碑、分水、古戦場、廃墟、水力発電用ダム、魚道、工場などが、縦長の掛け軸から古代アイヌの視点で眺める新潟市は新しい発見で、韓国の方も堪能していただけたのではと思っています。

その後は同会場内にあるシェアキッチンで新潟最後の夜を乾杯し、楽しんでいただきました。

 

7月29日(日)あっという間に4日目を迎え、今日は韓国の方とお別れの日となってしまいました。

8時10分過ぎに新潟空港に着きましたら、もう韓国の方々は来られて出国手続き中でした。当初、当会からのプレゼントとして会のTシャツを差し上げる予定で、多分男性ばかりではないかとLサイズを13着と鮭のストラップを用意していました。しかし来日された方々の半数は女性で、Lサイズでは大きく着ていただけないことが3日目に分かりました。そのため荷物になるかもしれませんがMサイズもプレゼントする事で本日お持ちしました。

今年は新潟市の招待でテファ河保全会の方々が新潟に招待されましたが、来年は相互交流のため新潟水辺の会がウルサン市に伺うことになるでしょう。

来日された方々は50代の現役の方々ばかりで、河川環境、特に水質については私たち新潟市の先を行っているものでした。出国のためエスカレーターを上ってゆく方々を見送りながら、今後は市民と行政が真剣にかつスピード感をもって向き合い、この問題に対処していく必要性を感じた訪問団でした。  おわり

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