映画「阿賀に生きる」完成20周年ニュープリント作成資金カンパのお願い

新潟水俣病が発生した阿賀野川のほとりで川と深く関わりながら暮らしてきた人々を描いたドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」の完成から20年が経ちました。

度重なる上映でフィルムも劣化していることから、20周年を契機に「阿賀に生きる」「阿賀の記憶」のニュープリントおよびデジタル上映用データの作成資金へのカンパやこの取組の広報についてご協力をお願いいたします。

ご面倒でも詳細につきましては下記のリンクよりご確認ください。

映画「阿賀に生きる」完成20周年ニュープリント作成資金カンパのお願い

天童の水便り-4    須藤 敏彦

自宅近くの須川の支川と、近くのため池を紹介いたします。

この写真は、最上川右支川須川右支川の酢川です。水源は、山形蔵王で蔵王温泉を通ってきます。

ご覧のように川の石が褐色になっています。流水のphは2~3で強酸性です。したがって、魚の住む環境にありません。また、農業用水にも利用されていません。

蔵王山の中腹で中和作業がされていましたが、その効果は一部分と思われます。自然現象とはいえ、硫黄は私達の好きな温泉水にも含まれており、ちょっと矛盾しています。なお、山形県内37市町村全てに温泉があります。

須川は、最上川合流地点で3200㎥/sを想定されている大支川です。山寺を流下する立谷川、県都山形市街を貫流する馬見ヶ崎川、など奥羽山脈最高峰は蔵王(1800m)を水源域としているため、奥羽山系が強雨域のとき各支川は、いっせいに出水します。

近年の最大洪水は、大正2年8月洪水とされています。その時の山形測候所の日雨量は、217mmで、未だに破られていません。洪水調整ダムは立谷川になく、馬見ヶ崎川に蔵王ダム(約500万m3)前川に前川ダム(約300万m3)のみです。

さて、気になる湖沼は、天童市内の原崎沼と二子沢沼です。どちらも、押切川、倉津川流域です。二子沢沼が上流で原崎沼が下流に位置します。二つとも農業用水のため池で、乱川支川押切川水系です。

写真では見にくいですが、原崎沼はカモの飛来池です。

二子沢沼は、原崎沼の上流にありますがカモは飛来しません。理由は定かでありません。                                      原崎沼では、昭和40年代頃まで、カモの狩猟を輪番で網を使用し、行っていました。                                  ただし、網の設置は高さや位置が厳しく制限されていました。カモは、餌を求めて西方の平野部に飛び立ち、また、原崎沼に戻って来る。その時、力が弱く低空飛行するカモのみ捕獲する、ということです。

近くの自衛隊駐屯地に、かつて、戦後まもなく米軍の進駐軍が来て、米兵が銃で原崎沼のカモを撃とうとした時、原崎沼を管理していた人々はそれをがんとして阻止し、原崎沼のカモを守ったという事は今でも語り草となっています。

つまり、それ程までして原崎沼のカモを守って来た歴史が、現在もカモの棲息池であるゆえんと考えられます。私が小学生の時、学校には『カモの家』があり、順番でカモの世話をしていました。もちろん原崎沼の関係者が、痛んだカモを小学校に預けたものです。

次回は近くの水辺の課題をお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 

天童の水便り-3      須藤 敏彦

村山盆地「ちょろちょろ水と洪水」

村山盆地の西から流入する寒河江川に対し、東(奥羽山系)から流れる河川は、渇水時の流量はとても少ない。しかし、いったん雨が降れば一瞬に、さらに同時に出水し最上川と合流し最上川の水位を高める。渇水は時々起こるが、大洪水にはなかなか遭遇しない。私の記憶では昭和56年8月洪水が、乱川の近年におけるやや大きい洪水と思っている。

農業用水のポンプが流されそうであり、近くの県の量水標は、目一杯の2mまでいった。流量は、流下能力限界近くの800~900㎥/s程と思われる。堤防が切れた所はなく、霞堤などの急峻河川の対応が、功を奏したと考えられる。

なお、明治以降の乱川の最大流量は、大正2年8月洪水と考えられている。この図は、最上川の村山盆地内の流量配分です。昭和50年のものですので、現在のものと違うかもしれません。

最上川本川が、村山盆地に入る時点では、3100㎥/sが、須川を合流し4500㎥/sとなります。そして寒河江川で700㎥/s、乱川で400㎥/s毎秒を合流し、珍しい大久保遊水地(池ではありません)で200㎥/sカットし、村山盆地下流に5400㎥/sで流れていきます。

ただ、奥羽山系強降雨域の場合は、須川が本流とし、2400㎥/sに、馬見ヶ崎川で、600㎥/s、立谷川で200㎥/sを加え、3200㎥/sとなり、最上川で1300㎥/s加え、寒河江川合流前で4500㎥/sと解釈できます。この考え方は、村山盆地内の最上川の基本高水が、奥羽山脈強雨域洪水(大正2年8月洪水)と、月山山系強雨域洪水(昭和44年洪水)を折中したものと考えられます。

なお、村山盆地より上流の米沢盆地も、奥羽山脈強雨洪水(大正2年8月洪水)と、飯豊、朝日山系強雨洪水(昭和42年8月洪水、羽越豪雨)を折中した洪水により各河川の計画高水流量が定められ、河川改修の基礎となっています。新庄盆地内は、主要な支川は鮭川となり、村山盆地、米沢盆地とはまた違った洪水パターンとなります。

次回は須川の支川を紹介します。

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