天童の水便り-3      須藤 敏彦

村山盆地「ちょろちょろ水と洪水」

村山盆地の西から流入する寒河江川に対し、東(奥羽山系)から流れる河川は、渇水時の流量はとても少ない。しかし、いったん雨が降れば一瞬に、さらに同時に出水し最上川と合流し最上川の水位を高める。渇水は時々起こるが、大洪水にはなかなか遭遇しない。私の記憶では昭和56年8月洪水が、乱川の近年におけるやや大きい洪水と思っている。

農業用水のポンプが流されそうであり、近くの県の量水標は、目一杯の2mまでいった。流量は、流下能力限界近くの800~900㎥/s程と思われる。堤防が切れた所はなく、霞堤などの急峻河川の対応が、功を奏したと考えられる。

なお、明治以降の乱川の最大流量は、大正2年8月洪水と考えられている。この図は、最上川の村山盆地内の流量配分です。昭和50年のものですので、現在のものと違うかもしれません。

最上川本川が、村山盆地に入る時点では、3100㎥/sが、須川を合流し4500㎥/sとなります。そして寒河江川で700㎥/s、乱川で400㎥/s毎秒を合流し、珍しい大久保遊水地(池ではありません)で200㎥/sカットし、村山盆地下流に5400㎥/sで流れていきます。

ただ、奥羽山系強降雨域の場合は、須川が本流とし、2400㎥/sに、馬見ヶ崎川で、600㎥/s、立谷川で200㎥/sを加え、3200㎥/sとなり、最上川で1300㎥/s加え、寒河江川合流前で4500㎥/sと解釈できます。この考え方は、村山盆地内の最上川の基本高水が、奥羽山脈強雨域洪水(大正2年8月洪水)と、月山山系強雨域洪水(昭和44年洪水)を折中したものと考えられます。

なお、村山盆地より上流の米沢盆地も、奥羽山脈強雨洪水(大正2年8月洪水)と、飯豊、朝日山系強雨洪水(昭和42年8月洪水、羽越豪雨)を折中した洪水により各河川の計画高水流量が定められ、河川改修の基礎となっています。新庄盆地内は、主要な支川は鮭川となり、村山盆地、米沢盆地とはまた違った洪水パターンとなります。

次回は須川の支川を紹介します。

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