天童の水便り-4    須藤 敏彦

自宅近くの須川の支川と、近くのため池を紹介いたします。

この写真は、最上川右支川須川右支川の酢川です。水源は、山形蔵王で蔵王温泉を通ってきます。

ご覧のように川の石が褐色になっています。流水のphは2~3で強酸性です。したがって、魚の住む環境にありません。また、農業用水にも利用されていません。

蔵王山の中腹で中和作業がされていましたが、その効果は一部分と思われます。自然現象とはいえ、硫黄は私達の好きな温泉水にも含まれており、ちょっと矛盾しています。なお、山形県内37市町村全てに温泉があります。

須川は、最上川合流地点で3200㎥/sを想定されている大支川です。山寺を流下する立谷川、県都山形市街を貫流する馬見ヶ崎川、など奥羽山脈最高峰は蔵王(1800m)を水源域としているため、奥羽山系が強雨域のとき各支川は、いっせいに出水します。

近年の最大洪水は、大正2年8月洪水とされています。その時の山形測候所の日雨量は、217mmで、未だに破られていません。洪水調整ダムは立谷川になく、馬見ヶ崎川に蔵王ダム(約500万m3)前川に前川ダム(約300万m3)のみです。

さて、気になる湖沼は、天童市内の原崎沼と二子沢沼です。どちらも、押切川、倉津川流域です。二子沢沼が上流で原崎沼が下流に位置します。二つとも農業用水のため池で、乱川支川押切川水系です。

写真では見にくいですが、原崎沼はカモの飛来池です。

二子沢沼は、原崎沼の上流にありますがカモは飛来しません。理由は定かでありません。                                      原崎沼では、昭和40年代頃まで、カモの狩猟を輪番で網を使用し、行っていました。                                  ただし、網の設置は高さや位置が厳しく制限されていました。カモは、餌を求めて西方の平野部に飛び立ち、また、原崎沼に戻って来る。その時、力が弱く低空飛行するカモのみ捕獲する、ということです。

近くの自衛隊駐屯地に、かつて、戦後まもなく米軍の進駐軍が来て、米兵が銃で原崎沼のカモを撃とうとした時、原崎沼を管理していた人々はそれをがんとして阻止し、原崎沼のカモを守ったという事は今でも語り草となっています。

つまり、それ程までして原崎沼のカモを守って来た歴史が、現在もカモの棲息池であるゆえんと考えられます。私が小学生の時、学校には『カモの家』があり、順番でカモの世話をしていました。もちろん原崎沼の関係者が、痛んだカモを小学校に預けたものです。

次回は近くの水辺の課題をお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください