天童の水便り―17

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り 17」が届きました。

さくらんぼのイメージ

今回は私の短歌を紹介いたします。2017年1月から12月より。歌誌「山麓」からです。

 

2017年1月から3月より

1. 天童にイバラトミヨの生息す氷河期からの生きた化石が

2. 刈田には杭掛け見えず稲刈りはどこの家でもコンバイン頼み

3. 乱川の浅瀬に足入れ魚掴む大きな石に潜むハヤたち

4. 部屋に入ればそれとしわかる刺激臭本棚の下に潜むカメムシ

5. 水泳の得意なりしわれ潜水のまま片道ターンし拍手を受けき

6. 里山と畑の界に猿の群れたわわなる柿を食料とする

7. 稲刈りの合間合間の蝗採り手早き母をわれは目で追う

8. 渋柿を軒下に吊るしひたすらに甘き干柿となるを待ちわぶ

10. 乱川の不連続なる霞提に急勾配での水害防ぎぬ

11. 乱川の自然プールで平泳ぎ初めて泳げうれしかりにき

12. 桜桃の雨除けテント広げしに八メートルの高さに震えり

13. 原崎を開墾せしも水はなく大規模溜池造りあげたり

 

2017年4月から6月より

14. 里山の峰の岩場のかた雪を融かして水とす春の陽射しは

15. 最上川の大久保にある遊水地水田地帯の洪水防ぐ

16. 堤防を散策しおれば野苺を発見したり食めば甘しも

17. 五月四日堰上げ終了し大堰に水満々と流れゆくなり

18. 果樹園にかもしか一頭現れて吾を恐れず悠然と去る

19. 河川敷の笹竹探して入りし藪はけご一杯が今日の収穫

20. 二メートル超す深さある乱川の底石を友持ち帰りにき

21. 乱川で石投げ遊びサイドスローで水面を跳ねる数を競いき

 

2017年7月から9月より

22. 乱川の三角岩より飛び込みて小学生ら距離競いおり

23. 乱川は増水の度流れ変え中州の位置も移動なしおり

24. 留山のダム上流の水涸れぬ不動の滝のいかになりしや

25. 水田に用水入れて代掻くに満ちたる水の眩しく光る

26. 大浴場の排水口に巻く渦の左巻きにて台風に似る

27. 露天風呂の眼下に見ゆる最上川置賜の水の全てを集む

28. 小国川のダム反対を唱えしも漁業権更新ならずに敗ける

 

2017年10月から12月より

29. 最上川の碁点の流れ渦巻きて難所の浅瀬つぶさにわかる

30. 裏畑の被害は猪のみならず狸まで来てお手上げの母

31. 里山の頂上におわす稲荷様例大祭の朝鉦ひびく

32. 台風の豪雨案ずるにルートはずれ農家安堵し桃もぎ急ぐ

33. 養蚕を生業とせし我が家に幼きわれも日々桑つみき

34. 幼き日里山に太き蔓探しターザンごっこに一日遊びき

35. 畦ごとに露草繁り可憐なる花に「ごめん」と言いて刈りたり

36. 大久保桃の箱詰作業始まれば芳しき匂納屋に充ちたり

37. 堤防を散策しおれば桃色の夏水仙は水辺にゆらぐ

38. 雑草といえども旨き滑ひゆ正月に食するわが家の慣い

天童の水便り―16

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 「白き山」より

前号に引き続き、斉藤 茂吉(1882-1953)の「白き山」の続きです。

79 最上川にごりみなぎるいきほひを まぼろしに見て冬ごもりけり
80 つつましきものにもあるかけむごと 最上川に降る三月のあめ
81 最上川ながれの岸に黒どりの 鴉は啼きてはや春は来る

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国道347号 北西側 冬の地吹雪対策用の柵 2016.3.15撮影

「東雲」より

82 最上川雪を浮ぶるきびしさを来りて見たりきさらぎなれば
83 なげかひを今夜はやめむ最上川の 石といえども常ならなくに

「昼と夜」より
84 最上川のなぎさに近くゐたりけり われのそがひはうちつづく雪
85 瑠璃いろに光る昆虫いづるまで 最上川べの春たけむとす
86 われに近く常にうごめきてゐたりけり 川にひたれる銀のやなぎの花
87 わがまへにさかまきてをる最上川 そのあかきみづの音ぞきこゆる
「あかきみづ」は雪解け水であろう。あの広い川幅いっぱいに
ものすごい音をたてて流れゆく。橋脚を巻いてうずまくさまは
壮観であった。(「白き山 研究」 斉藤茂吉記念館編より)

88 うちわたしいまだも雪の消えのこる 最上川べに燕ひるがへる

「辺土独吟 大石田」より
89 最上川の鯉もねむらむ冬さむき 真夜中にしてものおもひけり
90 はるかなる源をもつ最上川 波にたかぶりていま海に入る
91 最上川海に入らむと風をいたみ うなじほの浪とまじはる音す
92 水面はわが顔と触るるばかりにて 最上川べの雪解けけむとす

「四月」より
93 残雪も低くなりたる最上川 上空のくもりのなかに雲雀が啼きて

「雪解の水」より

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大石田上流 長島 2016.3.15撮影

94 両岸をついに浸してあらそばず 最上川のみずひたぶる流る
95 わが心今かおちゐむ最上川 にぶき光のただよふ見れば
96 最上川大みづとなりみなぎるに デルタのあたまが少し見え居り
97 濁水に浮び来りて速し速し この大き河にしたがへるもの
98 最上川五月のみづをよろしみと 岸べの道に足をとどめつ
「洪水」より
99 平明に膨張をする最上がは 対岸の雪すでにひたしぬ
100 最上川の洪水うへを浮動して 来るものあり海まで行くか
101 下河原に水はつきたり浸りたる 残雪のうへに渦の音きこゆ
102 最上川ふくるるを見つ窄きて来しゴムの長靴岸にひたして
103 最上川の洪水みれば膨れつつ 行方も知らぬそのおどろかさ
104 大きなる流動をわがまへにして ここ去りゆかむことをおもへり
105 水ひきあとの砂地に生けるもの 居りとも見えず物ぬくみけり
106 南よりうねりて来る最上川 川の彼岸にうぐひす啼くも
「彼岸」のルビは ヒガンですが、前述のとおり
かのきし (対岸)とかけている
「樹薩山房」より(5月5日哀草果宅)
107 哀草果も五十五歳になりたりと 朝川のべにわれひとりごつ
本沢村 にて(5月6日)
108 最上川べに帰りてゆかば しばしばも君をたづねむ吾ならなくに
「胡桃の花」より
109 この川の岸をうづむる蓬生は 高々となりて春ゆかむとす
110 河鹿鳴くおぼろげ川の水上に わが居るときに日はかたぶきぬ

最上川右支川 最上小国川  20154.27撮影

最上川右支川 最上小国川  20154.27撮影

「猿羽根峠」より
111 おのづから北へむかはむ最上川 大きくうねるわが眼下に
112 舟形にくだり来れば小国川 ながれの岸にねむりもよほす
113 小国川宮城ざかひゆ流れきて 川瀬川瀬に河鹿鳴かしむ
「横手」より(6月14日)
114 城山をくだり来りて川の瀬に あまたの河鹿聞けば楽しも
「晩夏」より
115 最上川あかくにごれるきのふけふ 岸べの道をわが歩みをり
「次年子」より
116 分水嶺われ等過ぎつつおもひけり 東のながれと西のながれと

話は飛びますが茂吉以外の俳句をみてみます。

芭蕉(1644-1694)の最上川の俳句をみてみると
五月雨を あつめて早し最上川
風の香も 南に近し 最上川
暑き日を 海にいれたり 最上川
(茂吉短歌 表現考 高橋宗伸著より)
正岡子規(1867-1902)では
旅人や 秋立つ舟の 最上川
瀬の音や 霧に明け行く 最上川
ずんずんと 夏を流すや 最上川
(茂吉短歌 表現考 高橋宗伸著より)

いずれの句も、最上川を結句としています。
その点で茂吉の歌は、最上川を自在に扱い表現しています。
俳句と短歌の違いでしょうか。

 

※天童の水だよりのバックナンバーはこちらでご覧いただけます。

天童の水便り―15

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 「白き山」より

前号に引き続き、斉藤茂吉(1882-1953)の「白き山」からです。

「晩夏」より

117 二わかれ流れておつる水なれど つひにはひとつ最上川の水

「推移」より

118 黒鶫のこゑも聞こえずなりゆきて 最上川のうえの八月のあめ

大石田を去る日の近い茂吉は

119 水ひける最上川べの石垣に 韮の花さく夏もをはりと

大石田下流の最上川 2016.3.22撮影

大石田下流の最上川 2016.3.22撮影

「肘折」より

120 川のおと山にひびきて聞こえをる その川のおと吾はみおろす

121 月山を源とするからす川 本合海にをはりとぞなる

122 最上川いまだ濁りてながれたる 本合海に舟帆をあげつ

「冬」より

123 此の岸も彼の岸共に白くなり 最上の川はおのづからなる

「酒田」より

124 最上川黒びかりして海に入る 秋の一日となりにけるかも

125 わたつみの海のまじはる平明の デルタによりて.鷗むれたる

126 ここに至りて最終の最上川 わたつみの中にそそぐを見たり

127 たへがたき波の動揺をわれに見しむ最上川海に没するときに

「象潟」より

128 象潟の海のなぎさに人稀に そそぐ川ひとつ古き世よりの川

「恩」より

129 雁来啼くころとしなれば家いでて 最上の川の支流をわたる

最上川 毒沢 2016.3.22撮影

最上川 毒沢 2016.3.22撮影

 

「狭間田」より

130 いへいでて河鹿の声をききたりし おぼろげ川にも今ぞ別るる

131 最上川の水嵩ましたる彼岸の 高き平に穂萱なみだつ

132 日をつぎて水かさまされる最上川デルタの先が少し出で居つ

 

以上の歌は、昭和21年1月30日~昭和22年11月3日のものである。(斉藤茂吉選集 第7巻 茂吉後記により)

 

番号は最上川関連として、私が付けたものです。

 

これで 斉藤茂吉歌集「白き山」の最上川関連の短歌の紹介は、終了です。

 

なぜ茂吉は、こんなに沢山の 最上川の歌をつくったのか?

アララギ派で写生を重要視したからでしょうか?

まず、最上川が山形県そのものを表していること。

つまり、山形県の面積約9,000km2のうち、最上川の流域面積は、約7,000km2におよび一つの県のみを流れていること。複数の県を流れている信濃川、利根川とは違います。

上流から置賜盆地―村山盆地―最上盆地―庄内平野と4地域を貫流している事。つまり各盆地の河川は、最上川に集まりそして日本海に注ぐ。

道路、鉄道がなかった頃、最上川が舟運の大動脈であった点。

大石田など最上川舟運の集積地となる。

このような環境のなか、茂吉は生を写すことを最上川に求めたことが理由なのでしょうか。

茂吉、小学生の遠足で初めて最上川を見て、すこぶる感動したとのこと。

近くに蔵王の山並みをいつも見ていて、大自然に対する原風景を感じていたのでは。東京青山で暮らしていても、こっち山形に帰ってきたときは、ずーずー弁でとうしたとのこと。郷土愛いっぱい。これらが、こんな沢山の最上川の短歌を生んだのでしょう。ただ、奥さんと一緒に山形に来た訳でないので、その点が気掛かりです。

 

 

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