天童の水便り―15

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 「白き山」より

前号に引き続き、斉藤茂吉(1882-1953)の「白き山」からです。

「晩夏」より

117 二わかれ流れておつる水なれど つひにはひとつ最上川の水

「推移」より

118 黒鶫のこゑも聞こえずなりゆきて 最上川のうえの八月のあめ

大石田を去る日の近い茂吉は

119 水ひける最上川べの石垣に 韮の花さく夏もをはりと

大石田下流の最上川 2016.3.22撮影

大石田下流の最上川 2016.3.22撮影

「肘折」より

120 川のおと山にひびきて聞こえをる その川のおと吾はみおろす

121 月山を源とするからす川 本合海にをはりとぞなる

122 最上川いまだ濁りてながれたる 本合海に舟帆をあげつ

「冬」より

123 此の岸も彼の岸共に白くなり 最上の川はおのづからなる

「酒田」より

124 最上川黒びかりして海に入る 秋の一日となりにけるかも

125 わたつみの海のまじはる平明の デルタによりて.鷗むれたる

126 ここに至りて最終の最上川 わたつみの中にそそぐを見たり

127 たへがたき波の動揺をわれに見しむ最上川海に没するときに

「象潟」より

128 象潟の海のなぎさに人稀に そそぐ川ひとつ古き世よりの川

「恩」より

129 雁来啼くころとしなれば家いでて 最上の川の支流をわたる

最上川 毒沢 2016.3.22撮影

最上川 毒沢 2016.3.22撮影

 

「狭間田」より

130 いへいでて河鹿の声をききたりし おぼろげ川にも今ぞ別るる

131 最上川の水嵩ましたる彼岸の 高き平に穂萱なみだつ

132 日をつぎて水かさまされる最上川デルタの先が少し出で居つ

 

以上の歌は、昭和21年1月30日~昭和22年11月3日のものである。(斉藤茂吉選集 第7巻 茂吉後記により)

 

番号は最上川関連として、私が付けたものです。

 

これで 斉藤茂吉歌集「白き山」の最上川関連の短歌の紹介は、終了です。

 

なぜ茂吉は、こんなに沢山の 最上川の歌をつくったのか?

アララギ派で写生を重要視したからでしょうか?

まず、最上川が山形県そのものを表していること。

つまり、山形県の面積約9,000km2のうち、最上川の流域面積は、約7,000km2におよび一つの県のみを流れていること。複数の県を流れている信濃川、利根川とは違います。

上流から置賜盆地―村山盆地―最上盆地―庄内平野と4地域を貫流している事。つまり各盆地の河川は、最上川に集まりそして日本海に注ぐ。

道路、鉄道がなかった頃、最上川が舟運の大動脈であった点。

大石田など最上川舟運の集積地となる。

このような環境のなか、茂吉は生を写すことを最上川に求めたことが理由なのでしょうか。

茂吉、小学生の遠足で初めて最上川を見て、すこぶる感動したとのこと。

近くに蔵王の山並みをいつも見ていて、大自然に対する原風景を感じていたのでは。東京青山で暮らしていても、こっち山形に帰ってきたときは、ずーずー弁でとうしたとのこと。郷土愛いっぱい。これらが、こんな沢山の最上川の短歌を生んだのでしょう。ただ、奥さんと一緒に山形に来た訳でないので、その点が気掛かりです。

 

 

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