天童の水便り―14

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 「白き山」より

斉藤茂吉(1882-1953)の造語、新しい表現の紹介です。「白き山」からのみです。

実に沢山の最上川の歌に、圧倒されそうです。茂吉の歌で造語、新表現があります。

茂吉の胸像 斉藤茂吉記念館 2016.3.17撮影

茂吉の胸像 斉藤茂吉記念館 2016.3.17撮影

すでに「天童の水便り―13」で「白き山」から一部紹介しましたが、最上川関連以外にも

6-1たとふれば一瞬の朝日子は うすくれなゐに雪を染めたる

の 「一瞬の朝日子」が造語です。
(吉田漱 著 白き山 全注釈 より)

また
16 彼岸(かのきし)に何をもとむるよひ闇の 最上川のうへのひとつ蛍は

の「彼岸」が新表現です。かのきし とルビをふり 対岸とお彼岸の二重の意味が読み取れます。新表現。

16-2近よりて われは目守らむ白玉の 牡丹の花のその自在心

の「自在心」が造語です。  (吉田漱 白き山 全注釈より)

話が変わりますが、茂吉は学校の校歌の作詞が3校あるとのことです。(茂吉記念館 談)
県内は、山形県立山形北高校の一校のみです。

山形北高校校歌
斉藤 茂吉 作詞

天そそる 蔵王の山の
ただ潔き 花の駒くさ
わがどちの 徽章となして
みをしへの 足らへるにはに
もろともに いざや学ばむ

ゆたかなる 最上の川の
をやみなき 流れのごとく
わがどちよ 倦まずたゆまず
豊榮と さかゆる国に
ほがらかに いざや勵まむ
(わがどち:わが同胞の意味)

この校歌は山形北高の前身 市立第二高等女学校のための校歌ですが、当時は3番もあったとのことです。――県立図書館より
その他の校歌は、昭和大学、角館高校だそうです。(茂吉記念館 談)

また、茂吉の「白き山」に戻ります。
昭和22年作 「雀」より
51 両岸にかぶさるごとく雪つみて早春の川水嵩まされる
「寒月」より
52 春の光日ねも照れど川の洲につもれし 雪はまるくのこれる
「あまつ日」より
53 あまづたふ日は高きより照せれど 最上川の浪しづまりかねつ
54 やうやくに病は癒えて最上川の 寒の鮒食むもえにしとぞせむ

「ひとり歌へる」より
55 やまひより癒えたる吾は こころ楽し昼ふけにして紺の最上川
56 ほがらほがらのぼりし月の 下びにはさ霧のうごく夜の最上川
57 まどかなる月はのぼるぬ二わかれながるる川瀬明るくなりつつ

最上川右支川 須川 上山市臥竜橋より上流 2016.3.17撮影 茶色に見える流れは、右支川酢川、強酸性

最上川右支川 須川 上山市臥竜橋より上流 2016.3.17撮影 茶色に見える流れは、右支川酢川、強酸性

58 月の夜の川瀬のおとの聞こえくる デルタあたりにさ霧しろくも

59 月読ののぼる光のきはまりて 大きくもあるかふゆ最上川

60 中ぞらにのぼれる月のさゆるころ 最上川にむかふわれひとり来て

61 まどかなる月の照りたる最上川 川瀬のうへよ霧見えはじむ

62 まどかなる月やうやくに傾きて 最上川のうへにうごく寒靄

63 あまざらし降りくる雪のおごそかさ そのなかにして最上川のみづ

64 最上川の流れのうへに浮かびゆけ 行方なきわれこころの貧困

65 ふゆ寒く最上川べにわが住みて 心かなしきをいかにかもせむ

66 最上川ながれさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも

 

64の歌は 切迫した文体と声調からも「白き山」 の中で屈指の作品である。 ( 吉田漱著 白き山 全注釈 より)

「山上の雪」より

67 最上川に住む鯉のこと 常におもふ噞喁ふさまもはやしづけきか

68 最上川遠ふりさくるよろこびは 窈窕少年のこころのごとし

69 眼下を大淀なして流れたる 最上の川のうづのおときこゆ

 

最上川の碁点から大石田までを 大淀狭窄部 と言われています。川幅が村山盆地内より急に狭くなり、蛇行激しく、洪水がうまく流下できず村山盆地に堰上げ現象をおこす。といわれています。

最上川上流(大石田上流)3洪水は、大正2年8月、昭和42年8月(羽越豪雨)、昭和44年8月です。詳細は後述いたします。

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最上川 大淀狭窄部 2016.3.15撮影

70 おほどかに流れてぞ行く大川が デルタに添ひて川瀬はやしも

71 両岸は白く雪つみ最上川 中瀬のひびきひくくなりつも

72 雪はれて西日さしたる最上川 くろびかりするをしばしだに見む

雪晴れて 回りは白で 逆光のため 最上川が黒く見える。モノトーンです。

73 両岸は真白くなりて流れゐる 最上川の行方おもはざらめや

74 午前より雪ふりやめば川上に デルタが白くなりて見え居り

75 雪雲の山を離れてゆくなべに 最上川より直に虹たつ 1月19日

76 最上川水のうへよりまぢかくに ふとぶとと短き冬虹たてり

77 歩き来てしばしくは見てゐたりけり 最上川に短き冬虹たつを

78 最上川のながれの上に冬虹のたてるを見れば春は来むかふ

天童の水便り―13

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 の最上川について(2)

今回も、斉藤茂吉(1882-1953)の、「白き山」から最上川を歌った短歌を紹介いたします。

実に沢山の最上川の歌に、圧倒されそうです。茂吉の歌で造語、新表現があります。

最上川(谷地) 2016.3.5撮影

最上川(谷地) 2016.3.5撮影

昭和21年作

「対岸」より

31 大川の岸の浅処に風を寒みうろくづの子もけふは見えなく

32 病より癒えて来れば最上川 狭霧のふかきころとなりつも

「浪」より

33 西田川のこほりにたどりつきしかば 白浪たぎつ岩のはざまに

34 みちのくの田川こほり海のべの 砂原こえて歩みつつをり

35 最上川の支流の岸にえび葛 黒くいろづくころとしなりて

「大石田より」より

36 最上川ながるるがうへにつらなめて 雁飛ぶころとなりにけるかも

37 最上川対岸もまた低くして うねりは見えず直ぐにながるる

38 おほどかにここを流るる最上川 鴨を浮べむ時ちかづきぬ

39 かくしつつわがおりたてば岸ひくき 最上川のみづはやくもあるか

40 ここに立ち夕ぐるるまでながめたる 最上川のみづ平明にして

41 秋ふけし最上の川はもみぢせる デルタをはさみ二流れたる

梁です 最上川右支川 小国川 2015.4.27撮影

梁です 最上川右支川 小国川 2015.4.27撮影

 

茂吉が使うデルタのイメージ    最上川右支川 乱川 山形新幹線鉄橋 2016.3.9撮影

茂吉が使うデルタのイメージ    最上川右支川 乱川 山形新幹線鉄橋 2016.3.9撮影

「しぐれ」より

42 小国川迅き流れにゐる魚を われも食ひけり山沢びとと

43 最上川の大き支流の一つなる 小国川の浪におもてをあらふ

44 この鮎はわれに食はれぬ小国川の あおぎる水に大きくなりて

「晩秋」より

45最上川の支流は山にうちひびき ゆふぐれむとする時にわが居つ

「新光」より

46 ルツクサツク負へる女に橋の上に とほりすがへり月夜最上川

47 おほどかに流れの見ゆるのみにして 月の照りたる冬最上川

48 ひむがしに霧はうごくと見しばかりに 最上川に降る朝しぐれの雨

49 最上川岸べの雪をふみつつぞ われも健康の年をむかふる

50 最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも

冬の支川  最上川右支川 乱川 2015.12.31撮影

冬の支川  最上川右支川 乱川 2015.12.31撮影

ようやく「最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆふべとなりにけるかも」

に到達しました。昭和21年作もこれでおわりです。

造語は「逆白波」です。北 杜夫著 「茂吉晩年」 には「茂吉はその後も雪の降り乱れる最上川を幾度となく見たのだろう。そして{逆白波}という造語を苦心して編みだしたと思われる。」

 

斉藤茂吉記念館編

斉藤茂吉 歌集 白き山 研究 には

「内田友子氏は

昭和3年に 茂吉作で

東風ふきつのりつつ今日一日最上川に

白き逆波たつも

と指摘している。」

 

私が付けた番号の23番「 最上川の上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片」の 「虹の断片」について

虹の断片という鋭くしかも抒情をたたえた表現は、おそらく空前のもので

短歌史上に記憶されてよい佳品である。

デルタ の表現は、一般に 河川の河口に現れるものですが、最上川の

勾配がやや急な地点から、勾配の緩やかになった地点に現われる、幾筋の

流れと考えられます。

と解説しています。

順番が逆ですが

2番の「紅色の靄」は、23首の連作です。虹の色、紅、薄紅、黄、など天然色がきれいです。

季語、新表現については、まだ研究中です。

 

次回は、茂吉をお休みにして、真壁 仁 などの 作品を紹介いたします。

天童の水便り―12

山形県・天童市で農業を営む会員の須藤敏彦さんから「天童の水便り」が届きました。

 

斉藤 茂吉 の最上川について

斉藤茂吉(1882―1953)は現在の上山市に生まれ、東京の青山病院の院長で、戦時中生家金瓶に来て、昭和21年に大石田に移り住みました。

歌集「白き山」は晩年の作で大石田近辺で、歌ったものです。約800首がおさめられており、茂吉の代表作と言われています。

実は、私は歌集を読むのは初めてで、今まで最上川についての歌は下記のものしか知りませんでした。

◯最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべになりにけるかも(茂吉)

◯広き野を流れゆけども最上川 海にいるまでにごらざりけり(県民の歌)

◯五月雨を 集めて早し 最上川(芭蕉)

◯最上川舟唄(民謡)

ヨイサノマカッショ エンヤコラマカセ
エーエンヤーエーエンヤエーエー エーエンヤエード
ヨイサノマカッショ エンヤコラマーカセ
酒田サユグサケ マメデロチャ ヨイトコラサノセ
ハヤリカゼナド ヒカネヨニ
エーエンヤーエーエンヤエーエー エーエンヤーエード
ヨイサノマカッショ エンヤコラマーカセ(大江町付近)

 

今回、歌集「白き山」を読み、この中から最上川を歌ったものを中心に紹介 したいと思います。私の理系的感覚とは違い、文化的観点から、最上川(ほぼ 山形県内の風土)を表現していると思います。

2016.3.5撮影 最上川谷地(大石田より上流)

2016.3.5撮影 最上川谷地(大石田より上流)2016.3.5撮影

 

昭和21年作

山形県の上山から大石田に転居した時に歌ったものです。

1 最上川の支流の音はひびきつつ 心は寒し冬のゆふぐれ

「紅のもや」より

2 きさらぎの日いつ“るときに 紅色の靄こそ うごけ最上川より

3 川もやは 黄にかがやきぬ 朝日子の のぼるがまにまわが立ち見れば

4 最上川の川上の方にたちわたる 狭霧のうつ“も常ならなくに

5 最上川の川の面よりたちのぼる うすくれなゐのさ霧のうづは

6 春たつとおもほゆかも 西日さす 最上川の水か青になりて

7 われひとり歩きてくれば 雪しろきデルタのうへに月照りにけり

「ふくろふ」より

8 最上川みづ寒けれや岸べなる 浅淀にして鮠の子も見ず

「大石田漫吟」より

9 最上川ひろしとおもふ淀の上に 鴨ぞうかべるあひつらなめて 3月1日

10 かがなべてひたぶる雪のつもりたるデルタとわれと相むかひけれ3月4日

11 洞窟となりて雪なきところあり そこよりいつ“る水をよろこぶ

病床にて

12 最上川 みかさ増りていきほふを 一目を見むとおもひて臥しゐる

最上川 大石田 2016.3.5撮影

最上川 大石田 2016.3.5撮影

「けしの花」より

13 われひとりおし載きて 最上川の鮎をこそ食わめ病癒ゆがに

最上川 大石田 2016.3.5撮影

最上川 大石田 2016.3.5撮影

「夕波の音」より

14 わが病やうやく癒えて歩みこし 最上川の夕浪のおと

15 鉛いろになりしゆふべの最上川こころ静かに見ゆるものかも

16 彼岸に何をもとむるよひ闇の 最上川のうへのひとつ蛍は

17 ながらへてあれば涙のいつ“るまで 最上の川の春ををしまむ

「黒滝向川寺」より

18 最上川の岸にしげれる高葦の 穂にいづるころ舟わたり来ぬ

19 向川寺一夜の雨に音たてて ながれけむ砂しろくなりにけり

20 黒滝の山にのぼりて見はるかす 最上川の行方こほしくもあるか

21 ひがしよりながれて大き最上川 見おろしをれば時は逝くはや

22 東南のくもりをおくるまたたくま 最上川のうへに朝虹たてり

23 最上川の上空にして残れるは いまだうつくしき虹の断片

24 最上川にそそぐ支流の石原に こはろぎが鳴くころとなりつも

25 天雲の上より来るかたちにて 最上川のみづあふれみなぎる

26 わが歩む最上川べにかたまりて 胡麻の花咲き夏ふけむとす

最上川 黒滝 2016.3.5撮影

最上川 黒滝 2016.3.5撮影

「秋来る」より

27 わが来つる最上の川の川原にて 鴉羽ばたくおとぞきこゆる

「最上川下河原」より

28 つばくらめいまだ最上川にひるがへり 遊ぶを見れば物な思ひそ

29 最上川に手を浸せば魚の子が寄りくるかなや てに触るるまで

「対岸」より

30 最上川のなぎさに居れば対岸の 虫の声きこゆかなしきまで

 

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