「霞堤」は誤解されている

「霞堤」は土木用語にしては文学的な表現であり、多くの人の関心を集める用語である。新潟の関川水系矢代川の破堤に関連して、2013年9月にこのホームページで「霞堤」の機能について書いたら、何人かの方から「霞堤」は下流の洪水を防ぐための遊水地としての役割(洪水調節機能)があるのではないかという質問を受けた。そこで、「霞堤」について私の考えを簡単に述べておきたい。なお、「霞堤」に関しては、拙著『技術にも自治がある』(農文協、2004年)の第8章に詳しく書いてあるので、深く知りたい方はそれを参照してほしい。

霞堤は、図1のように堤防が二重に重なっているが、ところどころ不連続に切れている特殊な形態をしている。洪水時には、この不連続なところから洪水が逆流して滞留することから、洪水調節の効果があると考えられがちであるが、図1の手取川の場合、河床勾配が100分の1以上と急勾配であり、洪水が逆流するにしても限度があり、水位の上昇する時間を考慮すると、ほとんど洪水調節効果は無いと考えていい。それでは、この霞堤にはどのような効果があるのかというと、矢代川の事例で示したように、上流で堤防が切れて氾濫した場合、氾濫水が二重になっている堤防によって遮られ、不連続になっているところから河道に還元され、氾濫域が限定され、水害が軽減されることにある。

図1 手取川の扇状地と霞堤

図1 手取川の扇状地と霞堤

この霞堤は、形態としては武田信玄が「雁行する堤防を造った」と伝えられるように、古くから存在はしていたが、「霞堤」という用語そのものは江戸時代には存在していない。この用語は、明治時代に北陸扇状地河川の常願寺川の堤防に関する表現として現れ、その後次第に普及していったものである。

しかし、途中から、緩勾配河川の不連続堤にも「霞堤」という用語がつかわれるようになった。その一つの典型例が、図2の豊川(愛知県)の鎧堤である。この不連続堤は河床勾配が700分の1から7000分の1と緩いところにあり、洪水が逆流して入ると大きな洪水調節効果があり、狭窄部下流の洪水を大きく低減してきた。すなわち、急勾配河川の霞堤と、緩勾配河川の不連続堤では全く機能が違うのであるが、どうしたことか同じ「霞堤」という用語がつかわれるようになったのである。それは図3にあるように、急流河川と緩流河川の不連続堤を一つの図に表現した「河川工法」(常盤書房、1927年)という教科書の出現に大きく依存しているのではないかと考えている。ただ、豊川と同じような遊水機能を有していた利根川中流部の遊水地に対しては「霞堤」という言い方はされたことはない。

図2 豊川の遊水地と不連続堤の概念図

図2 豊川の遊水地と不連続堤の概念図

 

図3「河川工法」(昭和2年)に描かれた霞堤

図3「河川工法」(昭和2年)に描かれた霞堤

私は、機能の違うものに同じ用語を与えるのは科学的でないと思い、1987年の土木学会土木史研究発表会で「霞堤の機能と語源に関する考察」を発表した。そこでは、「霞堤」という用語は北陸扇状地河川から発生した言葉であるので、急流河川の不連続堤に使い、緩流河川の不連続堤には別の表現を使うべきであることを主張した。

その後、霞堤の用語解説には、氾濫水の河道還元が強調されるようになってきているが、まだ洪水調節効果を主に表現する場合も残っている。

最後に、「霞堤」は「氾濫水の河道還元」以外にも意外な効用を持っていることを述べておきたい。それは、洪水時に霞堤の水溜りの部分に多くの生物が避難していることである。洪水時には、川の流れは激流となる。この避難場所がなければ、北陸扇状地河川の場合、生物は海まで押し流されてしてしまうであろう。実際、洪水時に、霞堤の水溜り部分で漁をして大漁であったという人の話を何度か聞いたことがある。この観点からすると、「霞堤」は生物にやさしい近自然河川工法といえる。もしかしたら、先人たちは重要な食糧源である川の生物保護のために「霞堤」を考案したのかもしれないと夢想している。

6 comments

  • 佐藤 裕和

    佐藤です。先週、矢代川の水害箇所を見てきました。付近に長く住む方は、「霞堤」と呼んで「氾濫水を河道に戻すため」に不連続な堤防にしている、という認識でした。昭和31年の破堤氾濫のときには、霞堤開口部から氾濫水が河道へ戻るのを見ていたそうです。矢代川、左右両岸に霞堤が結構存置されていますね。なお、紀伊半島の南端に近い太田川の潮位の影響を受けるような緩勾配の区間の左岸堤にが不連続の箇所があり、おととしの台風水害で破堤氾濫水がそこから河道還元しています。現地の人はこれを霞堤と呼び、機能は氾濫水還元と認識していました。勾配が緩くても、地形によっては遊水による洪水調節ではなく河道還元目的である場合があるので、太田川が例外なのかどうかも含め、不連続堤の持つ機能の実質で判断して霞堤かどうかを研究していくのも大事そうです。

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  • 池田

    稚魚や川の生物を根こそぎ失うのを防ぐ素晴らしい工法。なのに 下水の配管扱いする輩がいることは嘆かわしいです。

  • 霞堤と遊水地の本質的違いは、対象地以外から豪雨時の溢水を受け入れるかどうかにあるのではないのでしょうか。霞堤は浸水想定地と隣接・周囲との境がない。従って周囲の雨水も霞堤に入り、排水も河道からの越水とともに排水する。遊水地は河川氾濫吸い飲みを受け入れ対象地外の周囲の雨水の受け入れはしない場合が通常ではないかと思う。周囲の豪雨時の雨水を多方向からの排水路で一時的に受け入れる遊水地なら周囲の住民の反対運動も抑えられるように考えます。

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