新入会員 蓮田市に住む宮澤さんよりのお便り

3月9日、当会のホームページに入会申込みが入った。新しいホームページを見て入会のあったのは、埼玉県蓮田市に住む宮澤さんで4人目となった。入会のきっかけや水辺への思いを尋ねると「この会は、遊び心半分・真面目心半分で活動しています。」も気に入ったとのことで、それをまとめていただいた。(事務局 加藤 記)

2月末に故郷の長野県千曲市上山田温泉で開かれた中学校同期会に参加し、埼玉への帰途、大好きな城下町・上田市の観光会館で小休止した。ここで、新潟水辺の会発行の3.17シンポジウム「千曲川・川の恵みを考えるシンポジウム」のチラシを手にしたことが、本会との出会いでした。

小生の故郷・長野県更級郡八幡村(現・千曲川市)は「田毎の月」の名所・姨捨山の麓に清流千曲川が流れる山紫水明の地です。往時、時には武田氏対上杉氏両軍が川中島合戦を展開、また時には松尾芭蕉が当地で「俤や 姥ひとり泣く 月の友(おもかげや うばひとりなく つきのとも)と風雅を詠んでおり、悠久の大河千曲川のように長い歴史がゆっくりと流れる古里です。

昭和30年代前半に小学校にプールが完成するまで夏の楽しみはもっぱら千曲川での水泳で心身を養い、中高時代は夏の夕暮れ時にハヤの毛ばり釣りを楽しんでいました。その後は新潟大学で4年間お世話になり、新潟市出身女性と結婚・・・。わが身は、鮭さながら千曲川から信濃川を下り、新潟は第二の故郷になりました。

大人になってからの楽しみは、小学校時代の旧友が5、6月の初夏に千曲川河川敷で営む「つけ場」小屋で、腹の赤くなった(婚姻色)ウグイの塩焼きや近況などを肴に酌み交わす同期の呑み会。(つけ場とは種つけ=産卵の場所という意味)また数年前には念願だった千曲川源流ウオークに参加し、甲武信岳中腹の源流でチョロチョロ流れる水を片手で掬って喉を潤すことができました。そんな訳で千曲川との付き合いはかれこれ半世紀を超え、今に至っています。

吾が故郷の千曲川に新潟水辺の会が2007年ころから鮭稚魚の市民環境放流を開始して徐々に実績が出てきていること、また、同会の諸兄姉および地元漁協や学校関係者皆さまが行政や法人企業の支援を得てこれまで長野新潟両県内で100万匹ちかくも環境放流を実施して来られたことを最近知り、本会の夢とロマンを求める気高い活動に敬意を感じつつ千曲川に対する自身の報恩感謝もあって会員の端くれに加えさせていただきました。

小生も3月17日上田市で開催されたシンポジウムで諸兄の発表を見聞し、翌18日は市内の千曲川で「大きくなって帰ってこいよ」と念じながら大勢の同志皆さんと一緒に稚魚放流に参加することができました。

昨年の3.11大震災以降、自然、環境、科学などと我々の暮らし営みの望ましい関係・在り様を問い直す必要があるのではないか、特に高度経済成長以降は自然に対する経済や科学の傲慢過ぎる振る舞いが横行した結果、ここに来て多大のツケを払わされているのではないか?などと漠然と考えるようになっています。その点、10年6月から取水を再開したJR東日本さんが宮中取水ダムからの維持流量を増やしたり、稚魚放流に参加し始めておられること、東京電力さんも放水量を増やしていることなど水利権を抑制的に行使し始めた点で評価したい。個人も法人企業も自然環境に対しては等しく謙虚にありたいと願っています。

世界一幸せな国と云われているチベット仏教のブータン国では、鶴が安全に飛来できるように電線を地下埋設しているそうですが、そこには山川草木悉有仏性の謙虚な精神を読み取れるのではないでしょうか。本会のプロジェクトである「千曲川に鮭を再び」の思いが、大勢の個人法人の優しい善意に支えられて着実に具体化していくことを念願して止みません。ネットで貴会のHPも拝見、入会案内にある貴会の地道な活動が、鮭の遡上数増加という夢の実現につながることを祈念しております。

平成24年3月23日  宮澤 洋史

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