第5回 信濃川大河塾 報告(2014年8月31日(日)・2日目その1)

第5回 信濃川大河塾、2日目は朝食前に加藤功世話人の案内で、恒例の早朝散歩から始まりました。

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6時、希望者20名で鳥居峠へ通じる石畳の旧中山道を散策しました。長野市安茂里公民館長の宮下健司さんが中山道や皇女和宮降嫁の際の宿場の様子などを解説していただきました。

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宿を出発して、まず奈良井川にかかる奈良井橋を見学しました。

新潟水辺の会の大熊代表から造りとしては山口県岩国市の錦帯橋を参考にしているとの解説がありました。個人的には江戸日本橋の浮世絵にもあるように、昔の木橋は弧線の木橋が多かったのだろうか?など疑問を抱いた次第です。

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この日は奈良井川の源流を訪ねるスケジュールでしたが、急遽、予定を変更し7月9日に豪雨による土石流で被災した南木曽町を訪ねました。土石流の発生した河川では護岸が崩れ家や橋、線路が押し流されていました。土石流の脅威を目の当たりにしました。

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たまたま川のすぐ脇にお住まいの方から当時のお話を聞く事が出来ました。地鳴りとともに土砂や倒木などが凄まじい勢いで流れて行ったと、恐怖の体験を語ってくれました。

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次に木曽川を挟んで対岸の太白公園へ向かいました。ここにある伊勢小屋沢で昭和28年7月に発生した土石流(地元では『蛇抜け-じゃぬけ』と呼ぶそうです。)で犠牲になった3人を弔う慰霊碑が建てられています。

慰霊碑となっている大きな岩は当時の土石流で流されて来たそうで、その威力を知る事が出来ます。岩の上に「悲しめる乙女の像」と碑文が刻まれています。

南木曽町には「白い雨が降ると蛇抜けが起こる」「大雨の降り続いているのに沢の水が止まると蛇抜けが起こる」という言い伝えがあるそうで、土石流に何度も襲われた事をうかがい知れれる話でした。

今年の夏は豪雨により各地で被害が多発しました。

今一度、自分たちの暮らす土地を防災という視点から考えてみる事が大切だと感じました。

帰りがけに南木曽役場へ義援金として2万円をお渡ししていきました。一日も早い復旧と復興をお祈りいたします。

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同じ太白公園にある桃介橋を見学しました。福沢諭吉の女婿(じょせい)でもある福沢桃介が大同電力・読書(よみかき)発電所建設のために作った木橋(大正11年)で、一時期は老朽化のため廃橋となりましたが、1993年に復元され、現在は国指定重要文化財となっています。

大正時代になると木曽川水系には水力発電のダム建設が相次ぎ、現在も中部、中京、関西地域の電力を賄っています。かつては豊富な水量を誇ったであろう木曽川も、今では巨大な花崗岩がゴロゴロする川床を露呈する川へと変貌しました。電力供給という点では大切な事でしょうし、これが日常の風景と言えばそれまでなのでしょうが、今一度、立ち止まって、現在の『生活』というものを見直す時期ではないかと個人的に感じました。

(2日目その2へ)

 

お知らせ : 11月22日(土)長野市の安茂里公民館で水辺シンポジウムが開催されます。また来年3月には鮭稚魚放流も行われる予定です。お楽しみに。

【信濃川大河塾は三井物産環境基金を受けて実施されています。】

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