第5回 信濃川大河塾 報告(2014年8月31日(日)・2日目その2)

8月31日、第5回 信濃川大河塾2日目の午後からは、木曽川水系を離れ信濃川に注ぐ犀川水系の安曇野市大王わさび農園で昼食となりました。

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北アルプスの伏流水が湧き出る安曇野は、昔は信濃川を遡上した鮭の産卵場だったと長野市安茂里公民会館長の宮下健司さんから説明をいただきました。かつて黒澤明監督の映画を撮影した水車小屋周辺は観光地として多くの観光客が訪れるスポットです。

信州はかつては朝廷にも献上されるほどの鮭の 産卵地だったという話を聞いて思い出したのが「大助・小助」の伝説でした。

信濃川の河口・新潟周辺に伝わる伝説で、毎年霜月(11月)15日は鮭の大王(神の化身)で身の丈一丈(約3メートル)もある一つ目の大助と妻の小助が戸隠神社へお参りするため遡上する日で、周辺の漁師は漁を休んだそうです。

「鮭の大介、今のぼる」と言う声を聞くと死ぬと言われ、その時はいっさいの川仕事を止め、声を聞かない様に鉦を鳴らしたり酒を飲んで騒いでいたそうです。

しかし鮭の一群を一網打尽にしようと考えた王瀬長者が禁を破って漁をしたところ、長者は没落したとか死んだとかというお話です。(にいがたの怪談・駒形さとし著より)

この話は、とても意味深い話だと改めて感じたものです。

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帰路は犀川、穂高川、高瀬川の3川合流地点や犀川水系のダムを見学しながら無事、新潟へ戻りました。

参加された皆様、大変お疲れ様でした。

また今回のツアーに参加された方の中から3名の方(内団体会員1名)が入会希望の申し出をしてくださいました。 ありがとうございます。

ツアーの様子はビデオが完成次第、ホームページにアップしますので楽しみにしていてください。

 

お知らせ : 11月22日(土)長野市の安茂里公民館で水辺シンポジウムが開催されます。また来年3月には鮭稚魚放流も行われる予定です。お楽しみに。

【信濃川大河塾は三井物産環境基金を受けて実施されています。】

 

第5回 信濃川大河塾 報告(2014年8月31日(日)・2日目その1)

第5回 信濃川大河塾、2日目は朝食前に加藤功世話人の案内で、恒例の早朝散歩から始まりました。

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6時、希望者20名で鳥居峠へ通じる石畳の旧中山道を散策しました。長野市安茂里公民館長の宮下健司さんが中山道や皇女和宮降嫁の際の宿場の様子などを解説していただきました。

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宿を出発して、まず奈良井川にかかる奈良井橋を見学しました。

新潟水辺の会の大熊代表から造りとしては山口県岩国市の錦帯橋を参考にしているとの解説がありました。個人的には江戸日本橋の浮世絵にもあるように、昔の木橋は弧線の木橋が多かったのだろうか?など疑問を抱いた次第です。

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この日は奈良井川の源流を訪ねるスケジュールでしたが、急遽、予定を変更し7月9日に豪雨による土石流で被災した南木曽町を訪ねました。土石流の発生した河川では護岸が崩れ家や橋、線路が押し流されていました。土石流の脅威を目の当たりにしました。

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たまたま川のすぐ脇にお住まいの方から当時のお話を聞く事が出来ました。地鳴りとともに土砂や倒木などが凄まじい勢いで流れて行ったと、恐怖の体験を語ってくれました。

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次に木曽川を挟んで対岸の太白公園へ向かいました。ここにある伊勢小屋沢で昭和28年7月に発生した土石流(地元では『蛇抜け-じゃぬけ』と呼ぶそうです。)で犠牲になった3人を弔う慰霊碑が建てられています。

慰霊碑となっている大きな岩は当時の土石流で流されて来たそうで、その威力を知る事が出来ます。岩の上に「悲しめる乙女の像」と碑文が刻まれています。

南木曽町には「白い雨が降ると蛇抜けが起こる」「大雨の降り続いているのに沢の水が止まると蛇抜けが起こる」という言い伝えがあるそうで、土石流に何度も襲われた事をうかがい知れれる話でした。

今年の夏は豪雨により各地で被害が多発しました。

今一度、自分たちの暮らす土地を防災という視点から考えてみる事が大切だと感じました。

帰りがけに南木曽役場へ義援金として2万円をお渡ししていきました。一日も早い復旧と復興をお祈りいたします。

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同じ太白公園にある桃介橋を見学しました。福沢諭吉の女婿(じょせい)でもある福沢桃介が大同電力・読書(よみかき)発電所建設のために作った木橋(大正11年)で、一時期は老朽化のため廃橋となりましたが、1993年に復元され、現在は国指定重要文化財となっています。

大正時代になると木曽川水系には水力発電のダム建設が相次ぎ、現在も中部、中京、関西地域の電力を賄っています。かつては豊富な水量を誇ったであろう木曽川も、今では巨大な花崗岩がゴロゴロする川床を露呈する川へと変貌しました。電力供給という点では大切な事でしょうし、これが日常の風景と言えばそれまでなのでしょうが、今一度、立ち止まって、現在の『生活』というものを見直す時期ではないかと個人的に感じました。

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お知らせ : 11月22日(土)長野市の安茂里公民館で水辺シンポジウムが開催されます。また来年3月には鮭稚魚放流も行われる予定です。お楽しみに。

【信濃川大河塾は三井物産環境基金を受けて実施されています。】

第5回 信濃川大河塾 報告(2014年8月30日(土)・1日目)

信濃川大河塾は信濃川河口域に暮らす私たち新潟市民が、上流域の長野県を訪ね信濃川の水環境について学ぼうという新潟水辺の会主催の企画ツアーで、三井物産環境基金の助成を受け毎年開催されているものです。

「信濃川、千曲川、犀川、奈良井川を遡る旅」と題した今年のツアーは長野県をほぼ縦断する形となりました。

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参加者40名とスタッフ5名を乗せたバスは7時に新潟駅を出発。

最初に向かったのは十日町市にあるJR東日本宮中取水ダムです。改修された魚道と魚道観察室を見学。2013年は408尾の鮭の遡上が確認されたとのことで、その数は年々増加しているようです。

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続いて長野県に入り東京電力西大滝ダムを見学しました。

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西大滝ダムでも魚道が改修されたが昨年は6尾と2012年の17尾を下回ったとのこと。今秋の増加に期待したいものです。

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続いて松本市にある牛伏川フランス式階段工を見学しました。かつて乱伐によって大量の土砂が流れ出し信濃川汚濁の原因となっていた場所を、明治31年から大正18年の長期にわたり山腹斜面工事を施したものです。フランスの渓谷にある階段工を参考に空石積み、空石張りで作られた流路延長141mのフランス式階段工は、周りの風景に調和した美しいものでした。2012年7月に国指定重要文化財となりました。

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牛伏川階段工見学では、地元の「牛伏鉢伏友の会」の方々からご案内いただきました。時間のない中、駆け足の見学でしたが丁寧に説明してくださいました。ありがとうございました。

1日目の最後は宿のある奈良井宿を散策してまわりました。

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地元のボランティアガイドの案内で江戸時代の面影を色濃く残す町並みを眺めてまわりました。中山道に位置する奈良井宿は、木曽路十一宿の中でも一番標高が高く、難所の鳥居峠を控え、多くの旅人で栄え「奈良井千軒」といわれ、現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

こうして1日目の行程を終え、宿のならい荘へ向かいました。

お知らせ : 11月22日(土)長野市の安茂里公民館で水辺シンポジウムが開催されます。また来年3月には鮭稚魚放流も行われる予定です。お楽しみに。

【信濃川大河塾は三井物産環境基金を受けて実施されています。】