2日目-3 黒四ダム地下発電所~黒部ダム   事務局 加藤 功

◆黒四地下発電所
北アルプスの奥深く鷲羽岳(水源の標高2924m)に源を発した黒部川は、多くの谷々の水を集め一大清流となって86kmを一気に日本海へと駆け下りる。水量が多く高低差もあるため、水力発電に有利な条件を備えており、大正時代には日本電力(現在の関西電力)による水力電源開発が始められた。特に上流部では急峻な山岳地帯を舞台にして、壮絶とも言える工事が行なわれた。


駅の通路より発電所の中に入る入口に 黒部建設を決断した当時の関西電力社長、太田垣士郎氏のヘルメット姿のレリーフがあった。
黒部の山を形どったレリーフの下に、「経営者が十割の自信をもって取りかかる事業 そんなものは仕事のうちに入らない。七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるもんじゃない。黒部は是非とも開発しなければならない山だ」太田垣士郎とあり、強い意思が感じられるものであった。
戦後の深刻な電力不足を背景に、昭和31年、中部山岳国立公園の特別地域内で電源開発が始まった。自然保護運動による建設反対の声もあったが、経済復興という大命題が優先したと言う。

階段を上がった2階にある円形テーブルのある会議室に通され、黒部川電源開発についてジオラマと映像による説明を受けた。この黒四ダム地下発電所は、高さ33m、幅22m、長さ117mの巨大な地下空間が地下150mの地中に作られている。「地下建設は景観に配慮した結果だ。作業が難しく、コストがかかる難点はあるが、雪崩の危険を回避できる。」発電所だけでなく、変電所を含めたすべての施設が地中にあるという、世界に例のない完全地下式発電所であると言う。


トンネル内は寒いくらいであったが喉が渇いていたためか、出されたお茶がおいしくもう一杯欲しいくらいであった。


説明が終わると廊下突き当たりのドアを開けるとそこは発電タービン4基が整然と並ぶ大きな空間に出た。現在一番手前のランプの付いている1基が発電しているとのことであった。

 

黒四発電所の最大発電量は、昭和36年の発電開始時に154,000kwだったのが、48年までに発電機四基がすべて完成し、現在の335,000kwとなっている。
電力需要の増大に伴って火力・原子力発電所が続々と建設され、関西電力全体の発電量に占める黒部川第四発電所の割合は、48年の約2.5%から、現在は約1%(関西電力全体の水力発電の構成比率は10%)に低下している。(平成23年3月現在)「数字の上では、水力の相対的な重要性が低下したようにみえるが、火力や原子力では対応できない刻々と変化する電力需要に素早く対応した発電ができるのが水力発電であるとのことであった。

 

東京電力・信濃川発電所水車と、関西電力・黒部川第四地下発電所水車の比較

 

この度黒部川第四発電所の水車を見て、新潟県津南町にある東京電力信濃川の水車を比較してみた。
素人には一概に較べようもないが、水量もさることながら、最大落差が発電量を大きく左右する。信濃川の上流・犀川には、維持流量がない5つの東京電力の発電所が稼動している。少しでも落差を稼ぐため排水口がダムより大きく離れている。その為、その区間の夏場などの渇水期には、無水区間となる。一般に、火力発電に比べ水力発電はクリーンなエネルギーと言われているが、発電のみを考え河川環境を全く無視したものだ。

そこへゆくと、黒部ダムでは毎年6月26日より8月15日まで、15m3/s、8月16日より10月15日まで、10m3/sの観光放流を続けている。(今回私たちが訪れた際、黒部ダムへの流量が約10m3/sであり、10m3/sの観光放流を行っていた)

その後稼動しているタービンと管制室に行く。当日管制室に人がモニターを見ていたのでそこで監視しているものと思ったが、説明では発電所は完全無人化され、監視カメラ等を富山市にある関西電力で操作しているとの話である。

それでは昼食の時間ですと、会議室脇の応接室に入ると豪華な食事が待っていた。宇奈月からトロッコ電車に乗る前、一人1500円を払った弁当が並んでいた。宇奈月から同じトロッコ電車で運ばれたらしい。早速いただく。宿の朝食はしっかりといただいた筈なのだが残らず全部いただいた。さー、これからいよいよインクラインだ。

乗る前にインクラインの上部を覗き見ると、34度の傾斜は確かにきつい。建設当時、私たちの乗った車両は取り外され、その台車の上に長野県大町市から関電トンネル経由の黒部川第四発電所の建設資機材が運ばれた。発電機や変圧器など大型機器や巨大な水圧鉄管を運ぶには、最低でも25トンの重量に耐えることが必要であり、インクラインが今も最大25トンの積載量となっているのはそのためだという。

 


このインクラインとほぼ平行に黒部ダムから第四発電所への水圧鉄管が設置されているとの説明があるうちに、上部より車両が下りてくる。中央交換場ですれ違い、上下に別れて行く。その後車内では、来るとき紹介された紅白歌合戦の中島みゆきさんの「地上の星」のビデオが上映され、皆さん画面を懐かしく見ながら口ずさんだ。あーあれから10年が経ったか。

標高差456mの真っ暗な空洞を、ゆっくりと20分間かけて上った。車両を降りるとき振返ると、大型クレーンがその奥で自分の出番をじっと待っている。この駅のゲートの外には、大型のバスが私たちを待っていた。さあ、最後の黒部トンネルである。


バスの運転手さんは慣れたもので、幅員4.4m、高さ4.5mのトンネルを結構なスピードで走ってゆく。一番前の席で前方を見ていると、バスが吸い込まれてゆくような錯覚を覚える。乗り込んで10分もしない内にバスは停車し、私たちは右のタル沢横坑に入っていった。


未開放黒部ルート最後の見物である。バスを降りて3分ほどトンネルを行くと鉄の格子扉があり、それを開けて出ると、目の前には北アルプスの裏剱岳が見える筈だったが、あいにくとガスがかかり、その雄姿を見ることが出来なかった。

今年の9月は昨日までとても残暑だと言うには暑すぎた。だが黒部の奥に近づくにつれ、暑さが和らぎ、いや、やはり気温が下とは違っている。また、空気の違いを感じた。
バスに戻りトンネルを行く。車内の時計が午後1時を指すと、案内役の元野さんがもうすく黒部ダムに着きますよと言った。


今回の未開放黒部ルートを通って、他には味わえない多くの感動を覚えた。一般の方々にも見ていただければきっと大きな感動を与えるものになると思う。言われているようにこのルートは、関西電力の好意で施設を見学させてもらっている。これ以上の見学者を増やすには数百億円の投資が必要と言われている。

 

高熱隧道や地下に建設した黒部川第四地下発電所、インクラインなど、人と自然の調和した黒部奥山の歴史を見学できる。そして安全を図るためあまり多くの方々を入れないため少し高額にある、特別な観光があっても良いのではないかと思いながら、最後のトンネルを後にした。 2日目-4に続く。

 

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