2013年 鮭稚魚の市民環境放流(番外編)会員 大沢 正隆

●別所温泉

別所温泉は、日本武尊の東征の折に発見されたとされ、源頼朝や北条氏、真田氏にもゆかりのあるとても古く由緒ある温泉街で『信州の鎌倉』と呼ばれています。

ほのかに明るい早朝、その界隈をみなで散策しました。

 別所温泉地図

 

まずは『北向観音堂』。厄払いの観音さまとして古くから信仰されているそうです。

南むきの善光寺と向かい合うように北を向いていることから、北向観音と呼ばれるようになったとのこと。

どちらかに参ったら一方にも参らないと片参りとしてあまりよくないらしいです。

私は長らく片参りでしたから、いい機会でした!

 北向観音

この境内には『愛染かつら』という大きな桂の木が構えており、古い小説や映画のモチーフとして有名らしいですね。

 こちらは北向観音堂の本坊、『常楽寺』。立派な舟松に出迎えられ、お寺の脇道には石仏さんたちがおられました。

 常楽寺の御舟松

豊かに苔むした石塔がずらりと並ぶ道をさらに進むと、奥には全国的に珍しい『石造りの多宝塔』(国指定重文)がたたずんでいます。

 常楽寺

以前盗難に遭い、滋賀で発見されたのちここに帰ってきたため、「里帰り」の多宝塔なんて呼ばれているそうです。

 

続いては『安楽寺』。信州最古の禅寺で、学海の中心地だったそうです。

 門をくぐり進むと、奥の高台に鎮座する国宝『八角三重塔』が杉林の合間に見えます。(巨大な椎茸というとバチがあたりそうですが・・・、その思いは禁じ得ません。しかし)見上げつつ坂道を登っていくと、塔が目前に迫るにつれてきもちが昂揚してきます。

 安楽寺

とうとう坂をあがりきり、真下から仰ぎ見た八角三重塔は荘厳かつ圧巻。木造の唐風八角は国内唯一だそうです。

 安楽寺-八角三重塔

なお、このそばには「この塔は上から眺めおろすものではない」との触書があります。少しだけ…とまたバチあたりを覚悟で、脇の段をあがり見おろすと、下でみせる四羽の白鳥が一斉に翼を広げたような迫力とは裏腹に、まさにその白鳥の首のように引き締まった背格好をしてらっしゃいました。なるほど、「仰がせること」とはかくあるべしかと、その精髄を垣間見た気がします。

 

●生島足島神社

『生島足島神社』は、ちょうど日本の真ん中に位置し、二柱の神様を祀っています。生島大神は「生む」、足島大神は「足る(満たす)」 の神様で、日本総鎮守、つまり日本そのものの神様として仰がれているそうです。朱塗りの造りが美しい神社でした。

 生島足島神社

夫婦欅という樹齢800年の大ケヤキがあります。この中に男性、女性を象徴するかたちがあり、夫婦円満の御利益があると親しまれてるそうです。

 

ちょうどこの日は、結婚式が執り行われていました。日本の中心で愛を叫ぶ、とはまさにこのことで、しかも産む・足るの縁起のよさ。おふたりはかならずや幸せになることでしょう。

 

さて、境内には本殿に向かいあうように、諏訪神社も建てられていました。これは長野県の諏訪社によくみられる、「四本の御柱」のうちの一本です。

 生島足島神社-御柱

諏訪神は水、そして風、戦、農、猟の神様として、全国各地に祀られています。実は現在、この諏訪社の数は、総本山のある長野県よりも新潟県が多く全国で一番を誇ります。信濃川などの洪水に悩まされつづけ、それでも稲作をあきらめなかった越後民の祈り(すがり?)の名残を感じます。

 

さて、長野県は古い神社仏閣や、古墳、文化財があちこちにあり、ふだん越後平野で暮らす者にとっては、同じ信濃川流域なのにここまで違うか、と驚かされます。

 

新潟はやはり「新しい潟」だけあって、大河が泥で海を埋めてつくる進行形の平野、でした。それゆえ昔は海や潟、泥地であり、また大河の氾濫にさらわれてしまうから建てにくかったのでしょう。

 

だからこそ白鳥や雁がのびのびと落ち穂拾いする田園地帯になりえたともいえるし、逆に河川の氾濫が抑えられ平野が固定された現代ではどんな文化を産めるか、などと思いを巡らしたりしました。

 

さておき、ここ長野は同じ川の鮭を食べた仲間です。この時代のここのかたたちは鮭をおいしくいただいていたのでしょう。

 

もういちどその日が来る日を祈りながら、子どもたちと大人の稚魚放流は続きます。さいごは、馬曲川の木島平編です。つづく

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