2013年 鮭稚魚の市民環境放流(長野県にて)-2 世話人 山岸 俊男

長野県内における鮭稚魚放流は、初日好天に恵まれ午前中、西大滝ダム右岸下流で地域の小学校3校と東京電力(株)、高水漁協組合の協力を得て1万尾の放流を無事終えた。飯山市内で昼食をとり豊田飯山ICから上信越自動車道で午後の放流地点上田市へ向かった。

上田市での放流場所は、千曲川のすぐ隣に位置する「上田・道と川の駅」の裏手を流れる浦野川でおこなわれた。放流場所から約500mも下れば、千曲川と合流する地点である。

 海野宿.国分寺.浦野川

上田での稚魚放流は午後4時でありそれまでの時間を有効に使うため、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている海野宿を見学した。ここは寛永2年(1625年)北国街道の宿駅として開設され、その面影が今も大切に残されており、日本の道百選の選定も受けている。

 日本の道百選とうだつ

 今も道の中央には、きれいな湧き水の用水が流れ、両側の格子戸の家並みは昔の宿場時代にタイムスリップさせる通りである。その中の1軒の玄関前で加藤さんに呼び止められ「これは何か知ってる?」と。そこにはフチの半部がない大きな瓶が置いてある。私と戸枝さんが中をのぞき込んだ、底に白っぽい土のようなものがへばりついて細かいワラが見えた。

 海野宿の町並みと水路

2人とも皆目見当もつかず首をひねっていると、「これは当時、塩が入っており旅人の馬や牛が長旅の疲れから塩を食べる瓶で、そうすると旅人はそこで宿を取らざるを得なくなる」とのこと。「なるほど、なるほど」納得した。それが形を変えて現代でも見られ、飲み屋さんの玄関の両側に小さな円錐形の盛り塩が盛られているのが名残であるとのこと。とすると飲み屋に入る我々は、店からすると牛や馬で来る上流なお客か?そうかもしれない。今までは清めの塩かとばかり思っていたが、大変勉強になりました。

 海野宿の町並みとうだつ 

次に上田・道と川の駅へ向かう途中に信濃国分寺三重塔を見学した、これは旧国宝で現在は重要文化財となっている。何が理由で国宝が取り下げられたのか不明であった。帰って調べてみると

 信濃国分寺三重塔

信濃国分寺の三重塔、上田付近には国宝を含め三重塔が四塔ある珍しい場所です

 

「国宝」(国民/民族の宝物)の概念はアーネスト・フェノロサが考えたもので、1897年(明治30年)の古社寺保存法が制定時されこれに基づき、国宝指定が行われた。その後の昭和4年、古社寺保存法に代わって国宝保存法が制定され、文化財保護法が施行される1950年(昭和25年)まで存続した。当時「国宝」に指定された宝物類(美術工芸品)5,824件、建造物1,059件。これらの指定物件すべては「重要文化財」に指定されたものと見なされた。その「重要文化財」の中から「世界文化の見地から価値の高いもの」で「たぐいない国民の宝」たるものがあらためて「国宝」に指定されることとなった。

「第二次世界大戦以前には国宝だったものが、戦後は重要文化財に格下げされた」と誤って理解されることが多いが、「国宝」と「重要文化財」は国が指定した有形文化財という点で同等のものであり、「格下げ」されたのではない。また、文化財保護法によって国宝(新国宝)に指定された物件のうち、重要文化財に「格下げ」された例は1件もないとの事であった。

 

上田 道と川の駅

午後3時半に上田・道と川の駅の裏手鮭稚魚放流会場に到着した。すでに数十組の親子が小さなバケツを持って集まっていた。出迎えてもらった上田市役所、おとぎの里、上小漁業協同組合等のかたがた皆、今日のこの日のために打合せ協力をしていただいた人達である。

 浦野川にお集まりの皆様-1

どんどんとバケツを持って集まってくる参加者  2010年、2012年、千曲川に遡上した鮭を剥製にしていただいた上小漁業協同組合

 

放流準備をしていると、どんどん親子が集まってくる。そんな中、放流前の式次第が「上田 道と川の駅」おとぎの里世話人である石井孝二氏の司会で始まった。

 石井さん司会、大熊代表あいさつ

初めに主催者である当会の大熊孝代表、共催者である上田市立南小学校の安達永眞校長の挨拶があり、続いて来賓挨拶として国交省千曲川河川事務所の左近裕之所長、上田市の母袋創一市長の挨拶があった。

 上田市立南小学校の安達永眞校長、国交省千曲川河川事務所の左近裕之所長

引き続き稚魚にやさしい放流のお手本を母袋創一市長よりしていただき、稚魚の放流に入った。

 放流のお手本を母袋創一市長より

 

南小学校では4年生がはじめて鮭の発眼卵(約200粒)からの育成に挑戦した。お正月休みを終えて登校して間もなくふ化し始め、お腹に袋を持った仔魚が誕生し、みんなで喜んでいた。上田市の1、2月の夜間の気温は、0℃以下となることが多いため、仔魚から稚魚になっても発育が遅いので水槽にヒーターを入れることになったが、温度管理がうまくゆかず、生き残った稚魚は50尾ほどに減った。しかしこれも経験であり、次回はきっとうまく育てられることと思う。その50尾を児童と先生が浦野川にそっと放流して「必ず帰って来てネ」と話しかけていた。

 上田南小学校で育成の鮭の稚魚

この度の長野県内4箇所での放流は、各箇所とも1万尾であり、これらは新潟県の能代川サケ・マス増殖組合で採捕した鮭の卵を人工授精して、その発眼卵を野沢温泉村の湧き水(水温14℃)のある持田養魚場で育てられた稚魚である。

鮭は生まれた場所の川の匂いを覚えて戻ると言われているので、長野県内の水で育てることが回帰率の向上に役立つものと思われる。

 稚魚放流の子供たち-1

ここでの放流参加者数250名とこれまでにない多くの方々にお集まりをいただいたのである。この日は晴れて気温も13.8℃と暖かく参加しやすかったと思われる。浦野川の水温が7.3℃、稚魚搬入水槽の水温が6.3℃である。稚魚は放流する際、ショックを与えないよう川と水槽の温度差を3℃以内で放流することにしている。

 稚魚放流の子供たち-2

 

稚魚の入った水槽を積んだトラックが到着すると、放流稚魚を分けてもらいたくて皆がトラックの周りを取り囲んでしまった。川岸までのバケツリレーと分配する人数不足もあり、やや混乱をしてしまった。200名を超えた場合は2班に分けて放流することなど、今後検討する必要があると反省している。

 上田の浦野川にて全員集合

 大人168名、児童82名、合計250名が鮭稚魚の市民環境放流に参加してくださった

上田市での放流で感じたことは、参加者とのちょっとした会話の中から長野県民があきらめていた鮭の遡上が、もしかして期待できるのではないか、という不安と期待が入り交じった雰囲気を感じたところである。

この放流活動7年目であるが、地域の歴史や史跡をも訪ねたのは初めてであり、新潟県内外からのバス参加者からは、好評の様子であった。この活動が今後とも続くことを願うものである。

 

◆◆今回の鮭稚魚の市民環境放流は、三井物産環境基金及び信濃川の沿川市町村(新潟市、長岡市、十日町市、津南町)の助成を受けて行われました。助成をいただいた団体に感謝いたします。つづく

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