南相馬市 太田地区まちづくり委員会、新潟来訪-2

その後大熊孝代表と山岸俊男、横山通世話人の待っている東区役所に向かいました。当日は午前中同会議室で、通船川の水質勉強会が行われており、大熊代表、山岸、横山世話人はそちらに出席し、午後から落ち合い意見交換会に出席することになっていました。

 

 意見交換会では、新潟水辺の会の会の発足の経緯や活動の紹介、会員の構成、予算規模、地域との関わりなどの説明を行いました。

 

太田地区まちづくり委員会の高橋会長より、「太田地区住民の主体的な参加のもとに、太田川を生かした協働のまちづくりを通して地域の課題を解決し、地域の資源を後世に継承するとともに、楽しく安全・安心して暮らせる住みよい地域づくりを目指し22年度発足しましたが、原発事故の影響によって活動範囲が制限されたり多くの方々が避難を余儀なくされて、まちづくり委員会の活動を「継続するか」「一時休止にするか」悩んだそうですが、この「灯」を消してはならないと、事業を削減して実施してきたそうです。

 

その活動のひとつが太田川を周遊できる歩道の整備で、その為堤防に群生している竹林の伐採など行ってきたそうです。しかしそれ以上に深刻なのが放射線量への不安と心配だそうです。その為太田川の水質と川底泥の検査を太田地区5ヶ所で2011年9月15日、11月29日、2012年1月20日、3月3日、6月13日の合計5回精密な調査を行っていただいたようです。

 

 

結果として太田川の川底の放射性物質の量は当初より減ってきてはいるそうですが、川の水量、流れの速さによって、まだ高い地域もあると言っていました。また隣接する飯館町寄りの山間部の放射性セシウムが太田川に流れ着くのを心配しておられました。

 

3時20分意見交換会を終えて記念撮影を行いました。

 

 遠路はるばるご苦労様でした。

私たちも福島の事を忘れずに言い伝えていきます。来月、大熊代表も顧問をしている越後新川まちおこしの会が南相馬市にお訪ねする予定で、そちらの世話人も兼ねている加藤が参加します。今後は水辺に関する情報や助成金申請などの情報交換を行いながら交流を深めさせていただきたいと考えています。

南相馬市 太田地区まちづくり委員会、新潟来訪-1

10月20日(土)、市内が「避難指示解除準備区域」、「居住制限区域」、「帰還困難区域」の3つの区域に分かれている南相馬市より、川についての研修で、太田地区まちづくり委員会の高橋 清会長他23名が新潟に訪れ、新潟水辺の会のメンバーと意見交換会を行いました。

 

  新潟県庁裏の信濃川船着場にて

太田地区まちづくり委員会は、太田地区住民の主体的な参加のもとに、太田川を生かした協働のまちづくりを通して地域の課題を解決し、地域の資源を後世に継承するとともに、楽しく安全・安心して暮らせる住みよい地域づくりの推進を目的に平成22年3月16日発足しました。「きれいな太田川~恵みを次世代へ~」をテーマに活動している団体で、会員は約1,000所帯だそうです。太田地区は東京電力福島第一発電所より約20kmの地域にあります。

 

発足1年目の総会直前に東日本大震災が起こりました。

 高橋会長のお話では海岸部は津波被害を受けましたが、他に比べ太田地区は大きな被害はなかったそうです。しかし、東日本大震災後の東京電力福島第一発電所の爆発により、計画避難区域と緊急時避難区域となり多くの方が県外に避難されたようです。現在では、市内で計測している放射線の測定値が下がり安定していること、ほぼ市内全域で電気・水道が使えること、緊急時避難準備区域、計画的避難区域に変更され、屋内退避が解除されたことから、多くの市民が避難先から戻ってきているとの事でした。

 

午前7時南相馬市を大型バスで出発し、若干線量の高い飯館町を迂回し東北自動車道に出て10時50分新潟中央ICに着きました。挨拶もそこそこにバスを誘導して新潟県庁裏の信濃川へお連れしました。そこで相楽 治(福島県郡山市が郷里)、梶 瑶子両副代表、安田幸弘世話人より信濃川の説明をしていただき、11時20分発のウオーターシャトルに乗船、信濃川クルーズを体験していただきました。

 

 アナスタシア号に乗り込み下流に向けて出航

 

秋晴れの快晴の信濃川クルーズはいかがでしたでしょうか。

 

その後、万代島の魚市場2階にある、地魚食道 瓢(ひさご)で食事を取っていただきました。高橋会長からのお話では、現在南相馬市は、年間20ミリシーベルト以下の「避難指示解除準備区域」、年間20ミリシ-ベルト超50ミリシーベルト以下の「居住制限区域」、年間50ミリシーベルト超の「帰還困難区域」の3つの区域に分かれており、今回参加したメンバーの中にも居住制限区域に自宅があるため仮設住宅にお住まいの方も居られるとお聞きしました。

その後、当会の活動場所のひとつである通船川に向かいました。山ノ下閘門排水機場展望室で、通船川のなりたちや新潟の水辺について説明を行いました。

 

 

山ノ下閘門排水機場の管理室に伺うと、ちょうど中央埠頭に荷降ろしした南洋材木の筏の曳航があるというので予定時間が少しオオバーしていましたが、閘門に入る筏と閘門開閉を見学する事になりました。筏が入るため信濃川と通船川の2mの水位差を無くする為閘門を開けると真っ黒い水が勢いよく通船川に出ていきます。

 

そこへ一見卵型で風呂桶のようなロータリーボートが筏を曳いて入ってきます。このロータリーボートは木材を押す鉄の歯や顎を持っている優れもので、ほぼ同位置で360度回転できるロータリー機能と強力な馬力を備えた船です。南相馬の方々は、驚異の眼差しでそれを眺めていました。

2に続く。

天童の水便り-5  須藤 敏彦

近くの水辺の課題

自宅近辺は川に水が少なく、そのため水田が少なく、畑(主に果樹)中心の農業です。果樹は、サクランボ、モモ、りんご、ラ・フランス(西洋なし)など、水田は、はえぬき、つや姫(両品種は県で開発、現在は、つや姫をPR中)などです。

  (我が家の9月から11月生産のりんごと、稲ぐいによる自然乾燥)

我が家の水稲は、約80アール。全て稲ぐいによる自然乾燥です。コンバインを使用すれば、刈り取り、脱穀、わら処理(カッター、カッターせず水田面にわらを置く)が同時に出来、乾燥機にかけ、もみすりをすれば約一週間程度で玄米になります。

自然乾燥は、乾燥のみで約1ヶ月を要します。 わらは、全量近くの酪農家に譲り、酪農家は、エサや敷きわらにします。特にエサ用わらは、出来るだけ水田面に接する時間が短い事が求められます。この点自然乾燥わらは、脱穀しながらわらを集めるため、わらが、水田面に接する時間が非常に短いのです。放射性物質の問題が明らかになり、エサ用わらの需要に寄与しているという事になります。

さて、少ない水田も担い手不足で他人に貸したり作業委託したり、さらに、耕作放棄をしてしまうのが現状です。2,3年水田を放棄してしまうと雑草の天下になり、ニセアカシヤが大きくなればもはや廃川敷みたいになってしまい、復田は不可能になります。

果樹も同じで耕作放棄地は、病気、害虫の住みかとなり、近くの果樹園は通常より多くの防除を行うという事になります。農業の6次産業化の推進が指導され、実践されている農家も少なくないこの頃少ない人間で、水を守っていかねばならぬ時代なのです。

  (12.3.31乱川定点)             (12.6.6乱川定点)

左の写真は12年3月31日、右の写真は12年6月6日、の乱川定点(乱川と国道48号線が交差する、本郷橋から上流を見た地点)です。

3月は融雪があり、農業用水の取水がないので流水はやや多めです。6月は降雨なく、農業用水の取水があり、流水はグンと少な目です。

この乱川定点の上下流には四つの農業用水堰があり、乱川扇状地の伏流が伴い、山形新幹線と交差する万代橋付近では、ほとんど流水がなくなってしまいます。

したがって、扇状地先端部の湧水を確保し、そこに住む貴重なイバラトミヨを保存するには、上流で、奪い合って取水している各農業用水堰が、必要以上の取水を行わず、お互いの用水堰どうしが、現在以上の協調性を発揮すれば、湧水、流水の増加が期待されます。

横内堰と和田堰の分水水門       天童堰と高揃堰の等分分水工

果樹園も水がないから果樹だったのが、今は加温サクランボが、5月頭から生産されています。これは、畑地灌漑(当地では、白水川ダムより取水)のおかげです。また、霜の害を防いだり、高温障害の防止、もちろん降雨不足の解消はもっとも大事なことです。

「川を守る」には私たち人間の生産活動があって、はじめて実現されるものと思います。つまり、生産活動している私たちの向上するベクトルが必要です。あまりにもローカルな話でしたが私は60近くになり、息子も26才。ジェネレーションの交代時期に入りました。

天童の水便りは、1~5で終了です。 お読みいただきありがとうございました。

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